2008/07/01

『日本の30's事情』 SHUZO氏寄稿


さて、30′sスタイルというのは現代日本人にはかなり馴染みの薄いスタイルであります。(もちろん実際の30年代には日本でもこういうスタイルが着られておりますが)しかし時代時代にチラチラとたまには見え隠れしております。それを自分一人の狭い視点から振り返ると…

まずは70年代。30′sを舞台にした映画などが公開されたからか、一瞬そういうスタイルが流行っております。いわゆる『サーティーズルック』とか『フォーティーズルック』とか呼称されており…

しかし精密にディテールを追ったわけではなく、その頃のギャングルックを思わせるソフト帽やチョークストライプの服地、ダブル前、ストールなど、昔の特徴を断片的にかいつまんだ(つまりデザイナーが都合良くモチーフとして利用した)程度で、バギーパンツも1930′sのものとは似ても似つかず、股上が浅いデザインがほとんどでありました。

その中で、一番近いと思われるのはテレビドラマ『傷だらけの天使』で主演のショーケンの為に菊地武夫氏が用意した『ビギ』のスーツスタイル。これはかなり近い印象であったと聞きます。というのも僕は観ていないのです。

ショーケンがミルクとかソーセージを無造作に食べるあの印象的なオープニングはリアルタイムで何度も観賞してるんですが、そのあとの記憶が全然無いんです(^∀^)多分ああいう大人っぽいテイストを子供に見せるのを母親が嫌い、チャンネルを即変えしてたのではないかと(^.^)

この番組はいつか確かめてみたいですが…あとミュージシャンの加藤和彦氏もこの頃こういうスタイルをたまにしていたように思います。時は移って80年代終わり頃、今西祐次氏が率いる『メンズビギ』がこれに非常に近いラインを出します。

これと非常に近い時期(89年)に『コイーバ』ブランドが発足します。コイーバにはメンズビギから移って来た人が結構いたと聞きます。これは僕の想像ですが、メンズビギでそういう時代のスタイルを打ち出したものの、やはり普通のサラリーマンも買いに来る既製服ブランドであるから、裾幅を広くし過ぎたり、ベルトループを外して完全なサスペンダー仕様にしたりするのはさすがに出来なかった。

なので最初からそういう『オールドスタイル』をうたう器たるブランドが必要だったのではないかと…このコイーバ発足時のパンフレットには先述の加藤和彦氏もモデルとして登場。リーフレットにもコメントを書いておられます。(もっともこの頃の加藤氏はこういうオールドスタイルではなく、もっと現代的な細身のブリティッシュが好きであったらしいと聞きますが…)

ちなみにこの頃基本的に30′sスタイルという言葉はありませんでした。俗にDCブランドと呼ばれるカテゴリーの販売員の人々はこのスタイルを『40′s(フォーティーズ)』と呼んでおりました。しかし僕には違和感がありました。40′sといえば、どちらかといえばアメリカンなボールドルックを想像してしまうからです。(まあボールドルックもこのスタイルの派生種には違いありませんが。)このスタイルは30年代初期のイギリスではすでに形になってたと思うので自分では当時『30′s British』と呼んでおりました。

なので後年ESKY氏がサイト『THE 30′s style』を立ち上げられた時は『ああ、自分の解釈は間違いでは無かったんだ』と非常に嬉しく思った覚えがあります。さて、その頃はといえば一般の人には全く馴染みのないスタイルであったものの、このスタイルのスーツはあらゆるブランドで散見されるようになります。

後のコイーバの一部のスタッフと『メンズビギ』を展開されていた今西祐次氏は同時期に『メンズビギ』を退社。自身のブランド『ザ・プラネット・プラン』を立ち上げます。彼のメインラインは50年代のジャズレコードのジャケット等を飾った黒人ミュージシャン達が着るようなエクストリームアイビー的なスタイルですが、たまに1940′sのズートスーツや1930′sのドレープスタイルもお目見えしておりました。

当時恵比寿にあったお店に行くと、たまに今西氏が店頭に立っており、僕が着ていたコイーバのスーツを見て『ちょっと着てみていいですか』とジャケットを着られる一幕もありました。やはりかつての仲間が展開するコイーバもちょっと気になったりしてたのかなあ、と思ったりしたものです。

プラネットプランでは氏、独特の細身のスーツも購入しましたが30′sっぽいものとしてはドニゴール・ツイード(オフホワイト地に赤や緑のカラフルな色味がちりばめられたホームスパン柄)のスーツを購入しました。ジャケットは2ボタンのピークトラペルで5ミリ幅ステッチ。バックベルトが付いてプリーツが入ったスポーツジャケット仕様で裏地はチェックのキュプラ。“30年代のアメリカ古着”的なテイストのスーツでした。

代官山のショップ、モブスで展開されていたブランド『オア・グローリー』でもこの手のスーツがありました。コイーバ等より若干低価格なのに作りはしっかりしておりトラウザースもちゃんとフライフロント。生地もヴィンテージっぽい雰囲気のものをうまく使っておりました。

そしてオア・グローリーの兄弟筋と言われるブランド『ザズー』こちらはモッズ御用達のブランドですが90年代にはオックスフォードバッグスや30′sっぽいロングポイントシャツを置いている時期もわずかながら有りました。

古着では80年代初期から続く老舗のポーチャー、そしてスミスクロージング(ハリウッドランチマーケットの裏通りにあった。後に二回移転。後にオーナーが本当に好きな30′s40′sを扱うこの店舗だけは“ディビッド・クロージング”と名前を変え、もっと幅広くいろんな時代の古着を扱う他の数店舗はスミスクロージングのままとなる。)等がありました。

更にコイーバから独立した人々が立ち上げた『イン・ディテール』というオーダーブランドもありました。このブランドは恵比寿にある『デビュー』というお店が窓口になっているという事だったのでチェックの為に訪れました。店内に足を踏み入れると厳格な雰囲気のアンティークな什器や家具にオーセンティックな衣類がずらり。僕はてっきり『イン・ディテール』というブランドの窓口になっているだけの雑貨のお店かと思っていましたが、実はこのお店こそポーチャーと並ぶ30′sスタイルの老舗であるとのことでした。

オーナーのS氏は『うちが元祖なんですよ。コイーバだってドレーパーズベンチだってみんなうちで買って行ったものをコピーしてズルいよ』と心外な様子でした。結局、イン・ディテールなるブランドのスーツ見本などは影も形も見ることなく、このS氏のデビューでスーツを二着、シャツを二枚、あとフェアアイルセーターを二枚作る事となりました。

そんなわけで90年代中頃まではそれなりに百花繚乱であった30′sファッションのお店も2000年を迎えた頃には(古着屋さん以外は)すっかり下火になってしまいました。まあ横のつながりはあまり無かったから…というか反目しあってるというと言い過ぎですがお互いの店が進んで仲良くしようという気概はゼロだったように思います。

でもそれは決してネガティブな意味合いだけでなくお互いがインディペンデントな気持ちを持っていた、それがマニュアルもなにも無いままに自分のオリジナリティで着こなそうとする30′sユーザーの人々に似合っていた気がするのです。

余談ですが先日kenaoki氏と会った時、10年前デビューで仕立てたスーツ(裾幅30cmのかなりエクストリームなスタイル)を着て赴きました『ついついやり過ぎちゃうんですよ』という僕の言葉に対するkenaoki氏の『いや、そんなことないんじゃないですか。』という一言は30′sという傾いた(かぶいた)スタイルで生きようとする僕には非常に励みの言葉になりました。

E.O.F.


※エド注)服飾業界には『傷だらけの天使』に共感する傷天ラヴァー棲息率高いですね。以前K氏より紹介された、伊勢丹メンズ館バタク・ハウスカットK氏もこれまた大変な熱を持っておられます。ほとんど挨拶名刺交換無しでいきなりトップスピード状態で別れ際まで、話題は傷天100、服関係0。

好きなことに関して、自分を制御できない程の熱にあおられながら生きている感じで、ああこの方は服をお願いしても、信用できるなと感じたほどです。今度、代々木のエンジェルビルの『笠置そば』の大将ろくさん(本人はロクでなし、のロクだよ、と言う)(※以前個人的に別ブログで書きました)交えてみんなで一杯行きましょう。

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