2012/05/27

近況、


時が経つのは早いものですね。クライアントの方々、パートナー陣が強烈に優秀なおかげで、もはや、引っ越しが完了いたしました。もう5月末なので、6月としてもほぼ1ヵ月予定より早く済んでしまったことになります。まことに、ありがたいことです。

5月の2週目に、若手クライアントが4人お手伝いに来てくださいました。あれは確か日差しの強い、気温の高い日だったのですが、彼らは全員3ピースにガチで決めて(これはサプライズ)荷物ガンガン運びました。おおお、T氏はカシミアコットン、O氏はポーラー、とどれも上質なファブリックのスーツなので僕は始終ヒヤヒヤでもありました。

ちょっと外に出たところ、走って戻っている機動力に感動しました。ありがとうございます。周囲から見ると、引きで3カメ的に見ると、ある意味その模様は、検察のガサ入れ、あるいは強制捜査に見えたに違いありません。いつものんびりした空気に溢れている神楽坂・成金横丁は、その日に限って、最大限の緊張感が漂ったに違いありません。

今思い返してみると、新店舗物件は、内装も光の差し込み方もヌケの良さもピカ一だったこともあり、最初に見た3年前から目をつけていました。無意識に狙っていたようにも思います。人間、ただ好きな状態と、本気で手に入れようと決めている状態は根本的に違うように感じます。

実際に手にするためには、ライヤーズ・ポーカーならぬ、ウィーナーズ・ポーカー。本当に欲しいものは、誰にも言わないし、見る時も気づかれないように横目でチラッと見る。常に物理的に近くにいる。3年間で2度、花壇の蜂に追いかけられました。状況が動くまで、余計なことを一切せずに待つって、変化が来たら一気に決める、という感じでした。

7月初旬までは、ドアに 『 準備中 』 のお知らせを出しています。いかなる時でも、ゆったり静かなプライベート空間のままでありたいので、変わらず、ご紹介・ご予約のみでの営業です。すばらしいセンスをお持ちの前住人の先輩が植えられた下仁田のあじさいの前を、夕方着物姿の粋な御姐さんが小走りで通り過ぎます。“まずモノありき”の、やりとり空間ではなく、“まずヒトありき”、の美しいサロン空間でありたいと思います。

2012/05/01

スポーツ選手とスタイル


エドワードエクリュでは、一昨年以来、微力ながら格闘家佐山氏の主催する試合のスポンサーをさせていただいている。試合の勝者に対してトラディショナルなスーツを贈っている。

僕自身が試合会場に足を運び、直接観戦し、実際に目の前で試合を見て、さらに数日後、勝者に神楽坂へ来てもらい、ランチを一緒に食い、語り合い、徹底的にヒアリングする。1時間選手の話を聞いて聞いて聞きまくる、過去・現在・未来。傾聴した結果、一着をアウトプットしている。

選手という闘う男、おのれの生命力を爆発させる人間の姿を間近に見て、一次情報に触れ、さらに後日ヒアリングによる直の声を聴き一次情報を加える。プロセスの地味な積み重ね、という方法に自分なりの、製作物に対する誠実と責任を込めている。

もはや、生地はこれで、スタイルはこうで、とかそういった細かな注文は一切聞かない。時間がもったいない。黒が欲しい、と口では言っていても、傾聴している中で実は彼は潜在的に赤を欲しがっている・必要としているぞ、ということもある。

なにしろ猛烈にストイックで根本的にフィジカル・エリートの彼らであるので、完成品は美しく仕立て映えする。。正直、日本では、スポーツ選手がファッションに詳しくなると、ほとんどの場合男のスタイルとしてロクでもないことになる。

つまりたいがいがショップの店員のようなスタイルになる。彼らがショップの店員ならば何の問題もないし、“らしくある”ことはプロとしてたいへんカッコいいことだが、ときに彼らは格闘家であり、野球選手でありレーサーであり騎手である。店員以外は店員のようになってはダメだと思う。

それにしても、ややため息まじりに言ってしまえば、大藪晴彦の『汚れた英雄』を読んでいた世代としては、モータースポーツの世界にも往年のクラシックなジェンツタイプが存在していてほしい。栄光も挫折も絵になる新しい(しかし実は世界的に古典的な)男、かつてのエドワーズにとっての福沢幸雄のように、


70's前後の空気感に成り切るのが天才的にウマいR・W。オチのドジも絵になるか?こりゃならんな。