靴とか生地とか、それ単体でのめり込み過ぎる人が増えると、自分とのかかわり関係なく、物単体を崇めるコレクター的な傾向になるので、ショッピングを好きな人が増えてきて、経済効果は上がります。ただ、それによって各人の装いの全体観が損なわれます。
物自体のみを語る、つまり靴単体や生地単体の薀蓄を歴史から、組成から語ることに喜びを見出す(服飾史家や学者のような)方々の存在は、見識が豊かになるので、貴重な方々ですし、重要な方々です。
しかしながら、一般的な人々にとっては、優先順位的に、装いの全体観のほうが大切なので、自分と切り離して、物だけ見て語る服飾史家になる必要もないし、むしろマイナスに作用することも多く見られます。
トリビア好きは、優先順位が壊れておられる方も多いので、木を見て森を見ずで、本人の実際の着こなしが残念な人が多い、というのは同業者の一致する意見です。(おそらくどの業種でも)
たとえば、素人(しろうと)の目線は、靴だけを凝視するので、目線をたとえていうと上から2番目のような写真になります。この写真が素人の目線です。
靴だけを見ます。パンツが後ろに引っ釣れてるのに。。そして、滑稽なシルエットである一部流行のトラウザーズ(パンツ)のシルエットも手伝って、この2番目や3番目のような目線で見るのですが、それは残念な目線の例といえます。
一見、このように写真で写すと、ロングノーズで素人ウケする、シャープで尖ったシルエットに見えるので一般男子はカッコいいと思ってしまいます。世界中の instagram などで、90%近くの靴マニアがこのようなアングルの写真を撮っています。
しかしながらこれは、画面がパンして、もし引きで全体を映し出したときに、その着用者が “どんだけ ピノッキオやねん ” または “ どんだけルパンⅢ世なんかい ” といった有様であることが白日の下に晒されます。これを 『 木を見て森を見ずの(素人)目線 』 といいます。
どんなに、手の込んだ、こだわった、職人的な技法であっても、裸に靴だけを合わせるわけではないので(そういえば、その装いを街で見かけることはあまりありませんね)、必ずトラウザーズとの連なり、組み合わせの目線が必要になります。
ですので、1番上の写真の目線だけがプロの目線です。商品選びのすべてに言えることですが、一品、一品はどんなに素晴らしいものであっても、それは装いの一部である、と正確に認識すること、つまり “ パーツの認識・わきまえの認識 ” によって、美しく納得できる自分らしい全体観が獲得できます。そもそも、完成されたひとりの紳士の着こなしですら、景観のつらなりの一部でしかありませんから。。
ちなみに、1番上のモデルは神楽坂『Berun:ベルン』の竹内君。靴はJohn Lobb トラウザーズ(スーツ)は、裾幅22センチ、でハーフクッション(ゆるやかに靴にかぶさるくらいのユトリ)ちなみに、“生地”はハリソンズ・オブ・エジンバラのFine classic の淡いブラウンのシャークスキンです。
短めのパンツ丈の裾が輪っかになって、ぐるぐるフラフープのように自由自在に動いて、そこにきてロングノーズ気味の靴がドヤっ!と存在を主張しているのは、もともと短い脚の日本人が一層短足に見える、という残念な結果になってしまいますので、要注意です。
1番上の写真のように、ちゃんと、このようにナチュラルに靴に軽く被さって収まっているほうが、大人の落ち着きがあって美しいと考えますし、自分たちはアジア人の骨格を持った日本人であるという変数も加味した良識ある(わきまえた)全体観とバランス感覚だと思います。