時が経つのは早いもので、思い出を書き留めようと思いながらはや一か月。一般の方々より一歩遅れてのゴールデン・ウィークのお休みに、家族で5月20日から2泊3日で新潟へ行ってきました。
松本さんとのご縁、燕三条の物づくり(磨き)、鮭、海の幸・山の幸、温泉、という魅力に誘われました。とはいっても、“観光”より“テーマ”で動くほうが面白い、という昔からの木場家の旅の(こむずかしい)方針もあるせいで、今回も松本さんのアテンドで社会科見学の要素もたっぷり入れました。
新潟の印刷機械部品メーカーの代表を継いでおられる松本氏。青年海外協力隊時代に、ヨルダンにて柔道のナショナル・チームのコーチをしていました。神楽坂に来られるたびに、何度も素晴らしい日本酒やご当地のあられ(新潟産のお米で作ったもの)や甘いお菓子をお土産で持ってこられ、新潟の魅力に完全に背負い投げで一本負け。今回もすばらしい旅を演出してくださいました。ありがとうございます。
シンプルで美しいアイテムの数々。手のぬくもり、丁寧にきちんとしたものをつくろう、という意志を感じる逸品があふれています。使いやすいなんてことのない普通のデザインでありながら一生懸命丁寧につくられたものが一番使いやすいです。
燕市中央通り2丁目の『
玉川堂(ぎょくせんどう)』さんです。カンカン、、、と店の裏手の工房では始終響いておりました。われわれが見ている時に、大手乳酸菌飲料の社長ご一考も視察に来ていました。なるほど、“ツバメ”つながりということらしいです。一度工房の音を聴くと、それからは、湯呑みを見るたびに耳の奥でその音が聞こえてくることになります。
自分のペースでのモノづくり環境を作っているとの、経営者の方のお話でした。職人たちへの深い愛情や思いやりを感じました。人・モノ・そして地場を愛して、営々とモノづくりをされておられる姿勢は、自分たちが作り出しているものへの長期的なスタンス・視野を表しているように感じさせられました。
モエ・グループからのオーダーでつくられた逸品。社長も直接寄られたとのこと。さりげなく飾られていました。僕も現在アルコールを控えている妻にビール飲み用のコップを購入しました。
この地方によく見られる、一直線の土間。
このような日本の日常の逸品がたまりませんね。それぞれがすばらしいものでした。
こちらは、一番最初に i-pod の非常に高いレベルのオーダーを圧倒的に超えてみせた伝説のK研業の壁の配電盤。10年以上前でしょうか雑誌でこちらの工場について知って、一度は来てみたいと思っていた場所です。社長のお話を2時間近く聞くことが出来て、たいへん勉強になりました。
やはりやんちゃさ、もお持ちで、野性的で猛烈な闘志を彼の魂の中に感じることができました。息子のスコットを抱っこして写真撮ってもらいました。すばらしい人間に会う、という一次体験こそ何よりぜいたくな英才教育です。そして大人にとっては学びこそ人生最大の遊びです。
松本さんの実家の工場も視察させていただき、そっくりの弟さん、お母様、おじい様おばあ様とご挨拶いたし、たいへん勉強になりました。ありがとうございます。工場は、丹念に整理整頓されており、動きの工数や距離など作業の効率を限界まで高める工夫をしており、静謐ともいえる空間でした。
豪農の家、(渡邉家)。士農工商、日本のクラス世界。もともと商だった、この家は金融を営むことで、土地を増やして行き、最終的に農地を大きくしたので、結果的に農、それも“豪”農となった。非常に興味をそそられる間取りでした。北から南に向かって一直線に大きな土間。それも年貢を納める馬が通りぬけられるほどのもの。
北は飯炊き人から始まって、南側の旦那が接客する場所まで、それぞれの身分に応じて15センチくらいづつ高くなっていく。。。格の高い家からの嫁入りの際に、華やかな場所で一週間近い宴が繰り広げられたとのこと。。。妄想族の僕には、余裕でその場面が、花嫁の化粧メイクの細部までイメージできてしまいました(笑)
改装中でしたが、池で鯉にエサをやってきました。
左手が上座、右手が下座。さぞ人間ドラマが繰り広げられていたのでしょう。
屋根はこれが完成形。派手にせず、地味に。家訓も見せていただきましたが、一定の年齢になるまで、綿を着るべし、などなど、そのワキマエと知恵が刻み込まれるがごとく、記されておりました。華やかな中庭。大名貸し、という大名にお金を貸していた豪農。ちょうど、ヨーロッパで、国にお金を貸す金融家が影響力を増大させ、結局は歴史をつくっていったように、日本にも同じような立場で歴史をつくっていった部分があったのでしょう。
『
伊藤家』。 七代目文吉氏は、アメリカのウォートンスクール卒業。終戦直後の進駐軍の担当が同じ学校だったこともあり、その彼の協力もあって屋敷を残すことができた、というくだりが、ソサイエティの匂いがして、興味をそそられ8代目文吉氏の著作を購入して現在読んでいるところです。
つわものどもの夢の後をのんびり妄想している父と、ソフトクリームを食べさせてもらえず(卵アレルギー)悔しがるスコット。
シャケに関する博物館の中ではおそらく世界一ではないか、と思われるスケールの
イヨボヤ会館。藩の中の知恵者が、鮭の繁殖について工夫し、発明し、養殖に成功。米、鮭、と新潟の豊かさを決定づけることになったのだそう。発酵した鮭の塩分が大好きなので、これにはずいぶん刺激的でした。シャケばっかり食う熊として、生まれ変わったとしても、僕はそこそこやっていけそうです。
宿は鷹ノ巣温泉、
喜久屋(喜は、七を3つの草書体)。でした。すべてが離れの部屋で、各部屋に内風呂・外風呂・露天風呂があり、ちょっと離れた露天風呂もあり、ここに松本さんと入りにいったのですが、ほぼ熱湯だったにも関わらず、ぬおう、と叫びながらも二人してしばし首まで浸かって、ホウホウの体で部屋に戻りました。しかし不思議ですね。お湯に向かっていく時は熱さを感じないのですが、出る時にギャ~っと叫びたくなる体感になります。大笑いしながらのいい思い出になりました。
早朝の風呂も最高です。“ マークー、ワイコー ” と鼻歌を歌いながら、早めに上がりました(笑)時々熊いるそうなので。自然満タン、ということですね。
最終日は、宿泊先の部屋にてみんなで会食。松本さんの素敵な奥様の前で、コチンコチンに緊張していたスコット。ピクリとも動かず5分経過。保育園でも、お姉さん先生の前だと、どうも固まってしまうクセがありますね。全般的に大人も子供も楽しくすごせた連休でした。スーパーアテンドだった松本さんに感謝いたします。また新潟はいきたいです。