2020/12/23

里加子サロンのひととき



 長崎での2日間のアトリエ・ショーが無事に終わりました。みなさま、ありがとうございます。


里加子サロンは、まるでCabinet of curiosities(キャビネット・オブ・キュリオシティーズ) と私房菜(Home Cuisine)をマリアージュさせた「風の時代」にふさわしい味わいと深みのあるサロンでした。



Cabinet of curiosities(キャビネット・オブ・キュリオシティーズ)とは15世紀ごろのヨーロッパ貴族の趣味でそれが展開して博物館や美術館へ育っていった、人類の好奇心の起源のようなものです。



旅や冒険のあかつきに謎に満ちた異国から持ち帰る蒐集品が入った展示用のキャビネットから来ています。

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そして私房菜(Home Cuisine)とは東洋の国々で自宅で食べさせる自身の個性や特徴に特化させた半プライベート食事処です。仰々しい店構えではなく、隠れ家的な風情で自宅の玄関からお邪魔して"特別の"お料理をいただきます。



色の専門家である鳥沢先生を通じてこのサロンの主人、里加子さんがくらしのドレスを気に入ってくださり、共感いただきまるで "風のように南麻布のアトリエに遊びに来ていただいたところからこの長崎でのアトリエ・ショーへと育っていきました。



最近ネット用語で聞く「サロン」ですが、このコトバの歴史的ルーツを調べてみました。以下、By Oxford dictionary of English (2nd Edition revised)






このもともとのサロンの意味を踏まえて『里加子サロン』の素晴らしさをお伝えしたいと思いました。


①旅と自由

②好奇心とquest : 探究 (pilgrim : 巡礼)

③人生を愉しみ、切り拓く美意識


世界各地を自由に、テーマを持って旅する中で、面白い!良い!と思うものを見つけてしまいます。従来ではここで"バイヤー"というカタチでビジネスに紐付けられるのが落とし所なのかもしれません。



しかし里加子さんはモノではなくて美意識や知恵を持ち帰ります。何に紐付けられるか、られないかは自分が決める、それこそが自由で優雅な精神ですね。







美術館でいえば、キュレーションする本来の自由なスピリットこそ、サロンの姿なのでしょう。セレクトショップもレストランも本質の純度を上げていくと小規模でごく個人的なサロン的になっていきます。




昨今のビジネス用語でよく登場する「スケールしない・スケールする」という成長戦略のタームですが、ちょっと待って!それ誰が決めた?ハイスキルモデルじゃダメ、再現性のあるロースキルモデルにしなきゃ!」いやいやそれ誰が決めたの?誰のためにかな?と立ち止まれる知性も大切ですね。




サロン主人のお気に入りのアンティークショップ、そこに併設されていた大村湾の眺望が美しいカフェ。いただく新鮮な手料理、世界中を旅してテーマを持って探究された体験談の数々。好奇心や探究心を自由に解放させてあげる中で、多くの知恵や美意識を焚き込んでおられます。

2021年、ふつうの想像を遥かに超えてくる前例の無い出来事、あるいは大きな価値の転換を迎えます。いかなる人にも等しくリスクがあり時間と空間という機会が与えられる状況に向かっています。



姉の親友でもあった里加子さんが持っておられる能力の一部分を僭越ながら一言で表現するならば『サバイバル美学』だと思いました。サバイバル学ではなくて、いかに美味しく、素敵に、愉しく生きるか?知恵の泉を焚き込みに今後また伺います。とにかく「きゃーっリカコちゃん!可愛い、そして面白い子」だったとは姉の弁でした。

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くらしのドレス、オーダーメイド、愉しく対話させていただき、それぞれにご注文いただきました。ありがとうございます。時代の境目に、長崎の霊性にも触れるリトリートでもありました。クリスマスも迫ったこの時期に、2020年の素晴らしい締めくくりを行うことができました。ホントありがとうございま-す!

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#風の時代

#Kunstkammer

#CabinetOfCuriosities

2020/04/27

きれいなことばとなって響いてきました。




『 失われたことばを取りもどす 』くらしのドレスが、小さなさざ波のように広がっていきました。100年に1度のこれだけの有事にあって、なお人々にとっては、そこには装いの愉しさが存在したのでした。素敵。。SuperMoonProjectの仮説と検証は、遠くの汽笛のようにゆっくり響いて奏ではじめ、楽しげな唄声こそが、ひとつの解答でした。ありがとうございます。


紅茶とヴィクトリアンケーキのお店(ティーコジーはエドワード製)の御主人だったMさんからの今朝のメールのコトバが素敵だったので、ご了承のもとで転載いたします。コクシネルは、英語のDrapeドレープを一般的な皺しわ、と表現せずに『揺らめき』と表現していますが、ここにもうひとつ訳語が加わりました!Drape『さざ波のようにゆらゆら~』いいなあ~

フェルメール・シリーズで使用した生地は、ほぼ全員『上質なシルクのようですね~』と表現されるのですが、これだとウールの素晴らしさがシルク換算になるので自分たちで使うのは避けていました。


でもホントは1番わかりやすいんですよね笑。そんな感じで、コトバにこだわって意地を張るのもたまには大事なんですよ。ウールってすばらしいですから。隅田川沿い散歩してすれ違う99%はシャカシャカ石油系のスポーツウェアです。。先日駒形橋から蔵前橋までの間すれ違った約50名の通行人(ほぼジョガー)のうち、ぼくともう一人だけが、石油系ウェアではなかったです。ちなみに、こちらはウールのパンツとセーター、もうひとりは、アメリカ人風の男性でネイビーのアランセーターとデニムとコンバースでした。


ちなみに、さざなみを英語では、rippleといいます。これは実はよくできたもんで、転じて縮緬(ちりめん)の英語でもあります。2018年9月、みんなで丹後シルク、ちりめんを体験しに与謝野へ行ってきました。下はKuskaさんの工房にて。シルクもちりめんも優れた素材です。

この2020年の夏物スーツもベージュ系、砂漠色系のウールの縮緬素材でのスーツを推しています。これはスーツ生地の中で世界一涼感であることと、トラベラーズ・ウェアであることに理由があります。旅装として最高だからですね。くしゅくしゅっと丸めてトランクに入れてもひと晩で皺から復帰します。。すごいことですね。


シルク系の話題に戻ると、20世紀初頭のフランスのドレスメーカーの社名であるジョーゼットも縮緬属の一般名なのですが、18世紀前半にはすでに丹後ちりめんがどんどん創られているわけですからね。もともとはアジアで育まれています。ジョーゼットの厚手はデシン、薄手はシフォンとなります。どちらもことばの響きが奇麗ですね。


シルクデシン、つまりシルク・デ・シンのシンはChinaのことですし、シルクシャンタンはシルク・シャンタンのシャンタンShandongつまり山東省ですね。東洋のエレガントなTycoon:大君の残り香です。StayHomeに見出す愉しみは、C禍以前のブレーキが壊れた暴走特急内で繰り広げるどんちゃん騒ぎから一転して、小さな出来事から価値をていねいに掬い取る静けさにあるのだろうと感じます。


2020/04/14

understatement



静かな情熱を持って復興の一歩を進める準備。C禍が治まり有事が無事になる日々に想いを馳せながら、備忘録がわりに昨年のSpiritSuitsの物語を備忘録として書いておこうと思いました。

『君かっこいいね~』 金曜日夜の丸の内、いまどきのスーツスタイルで装った年上のビジネスマンから声をかけられる。『あぁ、はい、どうも、、』 一見ぼんやりしたその微笑みに、どんな想いSpiritが宿っているのか相手はわからないだろう。understatement アンダーステイトメント:たびたび、その訳として『控え目な(謙虚な)』とファッション雑誌などでは言われる。


しかし先日ネットCambridge University Pressが出している辞書を読むと、まずは、
 a statement that describes something in a way that makes it seem less important, serious, bad, etc. than it really is, or the act of making such statements:
実際より、たいして重要じゃないかんじ、それほど深刻じゃないふうで、それほど悪くない感じ、という解説があって、『実際に思っているよりたいしたことない風情でいる』って解説されていて、こちらのほうが、『控え目な』という謙虚風情よりもずっと感覚的に響いた。


ふと、記憶がさかのぼること、都内を豪雨と強風が荒れ狂った20191012日。エドワードエクリュ田園調布サロン。パートナーの前田邸の地下室を完全にセヴィルロウのアンダーソン&シェパードそっくりの内装にした秘密基地だった。


たいがいニュースが騒ぐときは逆だよ、と避難直前までラインしていたものの、予測を外し、完全に地下は水没し破壊されたのだった。翌日はきっと猛烈な快晴で空気もきれいだからピクニックでも行こうかなとうそぶいていたものの、翌日はパンプ3台で地下室にたまった300トンの水を夕方まで汲み上げ、そこから復旧作業がはじまった。


すべての水没した衣類を引き上げ庭に置いた時、そこはまるで飛行機の墜落現場のような様相を呈していた。そこから全部の衣類を高圧シャワーで泥を跳ね飛ばし、捨てるものと生かすものを分類することになったものの、世界のあらゆる上質生地をつかった最高のスーツ群は結局のところ1着たりとも捨てられなかった。






ウーバーで駆けつけてくれたアレックス氏が次々とトランクに詰み入れて自宅へ持ち帰った。


そこから彼は自宅の浴槽で4度の洗いすすぎを行った


南青山と西麻布の腕のいいと評判のクリーニング屋に運び込んだ。








いぜん、インターネットラジオの番組で、就職したてのお金が無い若者が質問してきて、本気で軍資金が無い場合どうしたらいいんだ?という質問に、『自分が尊敬する、そして体型が近い先輩からお古を貰えばいい』と答えたことがある。貰った後輩は先輩に感謝し続けるし、自分の分身のような装いの後輩を大事にしない先輩はいないはずだ、とも思っている。(それくらい、受け継げるぐらい、そもそものスーツが丈夫でなければならないのだ)。




クリーニングが出来上がり、広尾のアトリエに運び込んで、もともとが前田氏のサイズのスーツを佑樹君とアレックス氏にお直しする試着大会を行なった。1着1着妥協せず、丁寧に測ってお直し伝票に記入して工房へ発送した。そこで、仲間のアキさんがこれまた丁寧にわかりやすく仕分けて書き直し、お直し工程へと送った。


全員身長180以上なので、縦方向はほぼ題なく、横寸ややゆとりを持って詰めてカスタムを完成することができた。2人とも自身でオーダーしたスーツはタキシードまで含めて相当な自前コレクションがすでにあるが、なお、先輩のお古をお直しして着る。これをSpiritSuits と呼んでいる。10年は着なきゃいかん、といいつつ、すでに10年以上経過しているものが混じっていた。


というわけで、冒頭につながる。新品のいまどきのデザインのスーツを着た年上から、泥水から復活を遂げ自分用に修理をしたスーツを着た青年は軽い調子で声をかけられる。

『きみかっこいいね~それどこのスーツ?』と。

『ええ、ああ、あまりどことか気にしないんですよ、、、』

一見ぼんやりしたその微笑みに、どんな想いSpiritStoryが宿っているのか相手はわからないだろう。


微笑んでいる青年の足元を見る。きれいに磨き上げられた年季もののクラシックな靴。そしてその横にはこれ以上無いくらい優雅で風格のあるバーガンデイのダレスバッグ。年上のビジネスマンは、ようやく気づく。あれっ?と。。。

スタイルを持つ男が、流行を生きてしまっている自分のことを微笑みながら見ているのだということを知る。そして雑誌やセレクトショップには解説されない、静かな絆で受け継がれている装いの世界が、この世には存在するのだ、ということを知る。




2020/03/16

マシンメイドはスーツ的、オーダーメイドはドレス的



たとえば、レディスのドレスを中心に考えたとき、機械縫製:マシンメイド(以下マシン)も、手縫い縫製:ハンドメイド(以下ハンド)もそれぞれ魅力の方向性がありますし、たのしい創造性をたっぷり持っています。ここでマシンがスーツ的であり、ハンドがドレス的だ、ということの説明をしたいと思います。長いですし、かえってわからなくなる可能性もありますよ笑


さて、英国やイタリアの紳士物老舗のしっかりした上質な生地を使って、マシンメイドでシンプルなワンピースをお仕立てする、これは紳士がスーツをお仕立てすることに限りなく似ています。デザインと型、そしておおよそ使用される生地のテイストが決まっていて、歴史的に(スーツという共同規範幻想をキープしたまま)そのフォームを大切に受け継ぎながら、自身に似合うフィッティングと生地のセレクトをその範囲の中で選び、試し、探究していく。


これは英国のヴィクトリア期の後半、1900年ごろフロックコートの尻尾をちょきんと切って以降ほぼデザインが変わっていない 『紳士スーツというほぼ変わらない型』 であり、深みのある紳士スーツの装いづくりに似ています。


当然、スーツの歴史で言う創造性とは、視てすぐわかるへんてこりんな奇矯なデザインという類のものではありません。苦みばしった紳士の感性によって陶冶されてきた繊細なニュアンス、微差の世界です。


とくに紳士の場合ですが、オフィシャルなスーツに合わせるための白シャツのボタンがアクセントづくりために黒を選ぶ、とか、それはどんな優れた職人であっても、必要最低限のセンスを持っていないという点において、オーセンティックな装い全体の方針を立てる能力が無いことを意味します。話がそれました。


さて、婦人物のマシンメイドのワンピースに関してですが、一般的なオフィシャルな場面での着用と考えたとき、デコルテがやや狭くて、基本ボートネック寄りで露出が少ないもの、スカート丈は長め、だけど、裾に向かって蹴廻しがすぼまって、長袖というスタイルが打ち出しているものです。あまり体の線をくっきり出しすぎない、生地が揺れる動きの中で体の線が現われる、というスタイルです。


物を長いこと愛用し続ける英国の伝統から、上質な生地をたっぷり使って、余計なテンションをかけずに、生地をドレープ(揺ら揺ら)させて、シルエットをシュッと見せる、これこそが、ものを大切にする堅牢性と美意識が交わる結節点であり、歴史的な工夫と文化的な知恵がつくりだす意匠であり紳士・婦人に共通する優れた美意識です。


生地をできるだけたっぷり使っていることで、立つ、座る、歩く、などの動作のたびに、体のラインが現われたり生地のドレープに隠れたり、の繰り返しの残像が印象を作り出します。時間の流れとともに、そのひとの印象が動作を通して浮かび上がります。

ゆとり幅がなくて、全体がピタピタし過ぎて張り付いていると、"優雅な時間軸”がそこに無い着こなし、時間軸をゼロにしたかのような静止画像のようなシルエットになってしまいます。映画的じゃなくて、静止画像的という感じです。ざっくり言うと全体の印象がひらっぺったく、安くなります。


納期的にも、マシン(機械縫製)の場合は、1ヶ月前後ですので、自由にアイディアを試しやすいという強みがあります。これは、自身のキャラクターづくりの過程で、鋭く閃く、あるいは湧き上がってくる(本来の装いの醍醐味)装いのアイディア全体を一気に創りあげて全体観を持てる、自分の世界観を一気に持てる、ということを意味します。


置いてあるものを買うショッピングですと、バラバラにモノ中心にコレクション的に収集していくので、全体像がつくりにくい、ということがあります。たとえ最初に自分の全体イメージがあるとしても、それを見つけるために、ひたすら登場を待って、出会いに賭けるわけですね。


自分と同じセンスの、狙いのデザイナーが存在して、そのひとが、そのシーズン、自分に出せる可能な予算で一定のアイテムを作ってくれて、さらに自分がそれを見つけだす偶然が起こり、売り切れずに残っていてそれを手にすることができる、という確率に賭けるわけですね、、、本音でいえば、それは難しいと思います。

そこにおいて、人はじょじょにどうなっていくか?どういう方向に進んでいくか(誘導されていくか)というと、精神的に『受身』になる方向に進むわけです。

意志的な自分に合ったスタイルを諦めて、季節ごとに変わっていく、手に入りやすい、一斉に同じようなアイテムが出現してくる(咲く)『ファッションblossom』に自分を寄せるように再設定しなおします。そうすると、本当にほしいものを探して苦労するより、みんなと一緒の手に入れやすい、ほぼ共同購入に近い商品を購入することができます。


一方、仮縫い付きのハンドメイドはどうでしょうか?こちらは、ひとことで、やれることが全て、といえるほど広い範囲に渡っています。ゼロ⇒1です。そもそもですが、オートクチュールというと、協会員だけが謳えるという考え方をレスペクトしてぼくらは、自分たちのことをオーダーメイドという和製英語で謳っています。(以前はオートクチュールと言っていました)基本どちらでもいい、依頼人候補者にとってああ、あれか、とわかりやすければどちらでもいい、と考えています。使われなければ廃れていくとも思っていますが。。。


実際のオートクチュールは、そのシーズンごとに型が決まっているものを、マヌカンが着て、プライベートな規模のショーを催して、注文を受けつけ、それをその注文者のサイズで仮縫いしてつくる、というものです。


そう考えると、ゼロ⇒1で新しいパターン、デザインを描き起こすということは、猛烈に贅沢な行為といえます。これを、コクシネルではさりげなく日常的に行なっています。


それは現在の小さな、てんとう虫チームとしての“小さな”規模感がなせる技でもあり、できるかぎりこの小規模のまま、今のまま理解者、共感者に助けられながら、深堀り、深化、追究していきたいと思っています。


こちらのオーダーメイドにおいては、デコルテのシェイプ、露出分量、肩からウエストのライン、ゆとり量、ウエストから蹴廻しまでのシェイプなどすべてが完全に制御可能です。しかし、自由に何でもできるからといって、一番最初の方針づくりであまりにもだれでも陥り:おちいり、そうな『個性のトラップ:個性という名の罠』にかかってはいけません。


こちらも、冷静に基本線を極端に逸脱しないように、そのほうが長い目で見て賢い選択だ、ということをアドヴァイスするようにしています。むしろ、何でも出来るオーダーメイドだからこそ、シンプルにミニマルに考えることがまた一歩、自身の最高のシルエットを究めることになります。ラインづくりに淡々と、営々と、容赦なく歩を進めるけれども、徹底的に力んでいないことが大切です。みてすぐわかるデザインに対しては恬淡:てんたん としていただきたいのです。


流れるような美しいカッティング、フッと妖精が息を吹き込んだような膨らんだパフ、涼風が吹きぬけたように揺らめくドレープ、優雅に身体の線に沿ってみたり、離れてみたりするブラウジング、、、。オーダーメイドを徹底的に自分のための特別の魔法にして、シルエット全体を淡い魅力でつつむ:blooming、纏う、そんな特別のドレスであるように、と願っています。

冒頭に戻ってみると、マシンはスーツ的であり、ハンドはドレス的です。スーツは、自由さ不自由さの両方の要素があるからこその魅力です。一定のフォームがあるからこその、隠せない個性の表出が起こります。

控え目であればあるほどセクシーでもあるのがこの世界です。それは精神と肉体の両面のセンスがスーツの印象をつくるからです。肉体や精神の自由さ不自由さ、露出と隠蔽の両方があるからこその魅力といえます。


一方、ハンドメイドはドレス的だ、というのは、より解放的な自由さにその魅力があるからです。純然たる自己の追究の先にある世界観です。アイコンとかシグニチャーとか自由奔放に、徹底的に自分のために、たとえ若干の社会性を加味する必要があるとしても、甘美な自己探求といえます。


甘美、というのはオーダーメイドをあらわす、特徴的な形容詞です。繰り返しになりますがマシンは禁欲的、しかし、だからこその余韻、です。どちらも、きわめてエモーショナルです。ですからわれわれコクシネル・チームは飽きることがありません。この本質を感覚的に理解した上で、存分にそれぞれの世界観、情感、ときに詩情を愉しんでいただきたいです。


離見の見というか、3カメ目線というか、文楽で自分という史上最高に興味の尽きない人形を操るように、御自身の舞台をお気に入りの設定でちょっとスリリングに愉しんでいただきたいのです。