シンプルなヘッドライトとグラマラスな流面体のボディ。表面的に目立つ部分はシンプルにあっさりと仕上げ、意識の深いところにせまってくる部分はしっかりと手間をかけてつくられています。現代の車のデザインとみごとに“逆”の美意識を誇るヴィンテージ・カーたち。キング・オブ・タイのケント公も大好きな英国の有名なヘリテージ・カーのイヴェントより画像をお借りしています。
人間の脳味噌のごく表面的な刷込みと反射である “ 刺激 ” に基づく、新商品第一主義の通信機器のマーケティングは、本来長年連れ添うべき道具を消耗品と定義づける戦略に基づいています。何年も相棒として使い込んでみて初めて感得できる道具本来の味わいや、操作に習熟して意識せずとも手足のように操作できる喜びの境地など、昨今の商品には想定されていません。商品( 道具っぽいもの ) が一年に何度もモデルチェンジすることに違和感を持たない時代になっています。
常にバージョンを思考の表面的なところにひっかけておいて、機械を操作している状態ってどうなんでしょうか。道具と人間の理想形である、自分の手足のように自由自在に動く、という境地ははるか遠くにあります。使い方自体をいちいち考えなきゃならん、というのがゲーム感覚になっていて、もはや手段が目的になっています。これぞ理想の道具というものは、そのうちトンカチとカンナくらいになってしまうのではないでしょうか。
10年品、100年品、200年品、それはちょっとした夢です。
・・・・・ 平成という時代に、ちょっとダンディでロマンティックな男がフラワー・ホルダーというアクセサリーを買った。ラッキーなことにそのデザインはシンプルで流行物ではなかった。クオリティは必要充分に作られているから壊れない。少年、青年、壮年、老年期すべての世代で花をあしらって挿せる。。 20年後、男は息子に贈った。それからさらに20年後、今度はその息子に贈った・・・・
3世代以上生きている、そんなことを夢に描きます。
上画像は、この度完成したばかりの、エドワードのオリジナルのフラワー・ホルダー ( 一般定価¥76,400 ) です。この数年来、世界中のヴィンテージ・ショップで探していたアイテムでした。宿題がひとつ終わった気分です。クラシックに、端正に、真面目に装っている紳士ほどよく似合うアクセサリーです。髪型もきちっと7・3にスリークし、シャツもタイもスーツも足元までヒネルことなく端正に決めている紳士ほど特権的に似合います。
ハズす、アソぶ、ヒネる、といったヤラカシが一切無くて、もの足りないくらいの余白のうつくしさ、手がかりの無さ、そっけなさ、という装いのタメがあってこそ、初めて成立する鮮やかなあしらいです。“ ラペルに花 ” が来るわけですから、その現象1点がメインディッシュであり、あとはひたすらやらかさずに、シンプルに流しましょう。ここでしばしば若者は、そのフラワーホルダーのデザイン自体にも凝り始めます。他と違った感じでとかなんとか。。ここは腹8分、いや腹6分で止めましょう。充分です。
最初の3つに並んだフラワー・ホルダーはエドワードでの企画・製作の途中過程です。左端の最初のたたき台が一番アクセントが多いです。センターにもレリーフがあり、短寸で鏡面仕上げです。ここからどんどん引き算していきます。完成した2つ目のサンプルの右のスケッチは、職人さんの目の前で僕が描いたライン・デッサンです。女性のプロポーションのようです。シンプルにして、鏡面を繊細なヘアラインにしてマットで淡い底艶の質感にしました。
こちらは、フルハンドメイドのカマーバンドです。エクリュ色のシルク素材で、クライアントのサイズに合わせて企画製作しました。こういう、紳士の礼装のひとつひとつは、その真面目な佇まいにキュンとします。絹製品とはいえ、お手入れによっては代々受け継ぐことができるアイテムだと思います。この世界に、モデルチェンジはそうそうありませんから、ご安心くださいませ。
カマーバンドに合わせて作ったシルク・エクリュ・手巻きボウタイです。こちらも、カットは僕が線を引き、その意匠に沿って職人がフルハンドで製作しました。少年、青年、そして紳士へと成長していく過程で大人世界にトキメキながら通過儀礼を愉しむことができます。まあ、あれです、通過儀礼というと、えらく堅苦しいですが、鏡見ながら、ジェームズ・ボンド気分で007のサビを鼻歌している感じです。
真面目にクラシックに装っておられる紳士たちには、まだまだご褒美があります。コーレスポンデント・シューズの装いです。こちらも、ストリート系のファッションや、裾が狭まった8分丈のパンツをロールアップしたりして流行りとしてアレンジして履いているラウドな着こなしとは違って、そもそもクラシックスタイルの紳士たちにとっては、騒ぎ立てることのない、気分によっては出動させることのある、ごくあたりまえの足元バリエーションのひとつです。
同じようなことが夏のパナマ帽、冬のボルサリーノにも言えます。味わい深い歴史がありつつも、ごく当たり前の紳士の装いを、歳をとるごとに淡々と愉しみたいものです。ひとつひとつのアイテムの文化を意識しながら、物自体はごくシンプルに、必要充分にとどめる。それぞれすべてを丁寧に組み合わせた瞬間、大きなひとつの世界観が現れる。部品のひとつひとつ取り出してみたら、なんてことのないフツーのアイテムだった、そんな感じを理想の小物づくりと考えています。
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