2008/08/31

呼吸と香りとメランコリー

マルセル・プルーストは、マドレーヌの味から失われた時への回想、脳内の旅が始まった。華麗なるギャッツビーにしろ、過去を振り返る甘美な(悩ましい?)時間になにかしらの香りがそこにあったのかもしれない。

そして彼らは深く追憶するために、一人の時間、より正確にいうと、誰にも邪魔されずに“一人ゆっくり深呼吸する時間・空間”が必要だったのだろう、と想像する。



先日、ある勉強会で新しくて古い(クラシックな?)ヨガを日本に持ち込まれた関係者からの話を聴き、僕自身の中でそういったひらめきやら気づきがどんどん発生して自分なりにいろんな仮説が繋がった。

呼吸の話になるが、人が通常息を吐き切った状態を0、一杯一杯に深く吸い込んだ状態を10と仮にするならば、ぼとんどの一般人は4-7の(4から7の状態)浅い呼吸の状態で生きているのではなかろうか。

0呼吸をして見える風景、感じるもの、そして10呼吸して見える風景、というのは浅い呼吸とは全然違った世界が見えているはずだ。深い呼吸は、よく深く広くいろんなことを感じることができる、と思う。

しかし、過去に嫌なことがあると、本能が働いて、わざと呼吸を浅くして、いやなものを想起しないようなメカニズムが働くような気がする。自分と出来事を敢えて、和えないような仕組み。

しかしデータやスペックを認識するに呼吸はいらない。1秒で理解できる。しかしそれは、人間よりもコンピューターのほうが上手にやるのだ。

ちなみに昨今多人数で話しをする場合、ゆったり呼吸なんてしてたら、永遠に話題にカット・インするタイミングが来ない。時々関西のお笑い芸人の方を見ていて息苦しくなってくる理由は、この性急さによるのかもしれない。

さんま氏を見ていると、このままだと過呼吸か酸素足りなくて死ぬんじゃないかな、と心配になってこちらまで苦しくなる。タモリは安心して見ていられる。

一度、僕が自分なりに呼吸法に凝っているとき、電車の中で深呼吸をし始めて、あわてて止めたことがある。感覚が鋭くなってきてしまって、一気にいろんな臭い(残念ながら、香りでも匂いでもなかった)がはっきりと感じ取れ過ぎてしまったからだ。そして、すぐさま、あえて感覚を鈍化させるために5~6で超浅い呼吸をして外界からシールドした。

深い呼吸をしていると、過去から現在から未来から同時に全部一緒に考えることができる気もする。タモリ氏が白紙の弔辞を読めたのは、そいういう点もポイントだったのかもしれない、と思う。

確か歌舞伎か何かで浅い呼吸は派手な動きと結びつく、と読んだ記憶がある。浅い呼吸でテンションが高い会話、というのは、お互いはじきあうことを前提とした非常に防御的なものなのだろう。それはそれでおもしろいだろうが、、、あれ?何を言おうとしたのかな?

そうだ、安心して深呼吸できる、というのも大自然の中で、森の中で、海で、というのならほぼ大丈夫だが、この2008年東京において深呼吸するには環境を整えて、空間と時間を確保する必要があるのだろう。そうやってはじめて本当の香りを楽しめ、鼻から近い位置にある脳に届き、脳から電気信号で様々な感情が引き起こされるんだろう。

(良き時代の)映画では、ギャッツビーにしろクラーク・ゲーブルにしろ、ダンディたちの深呼吸は、結局のところ深い溜息のようだ。彼らはメランコリーを嗜みながら、過去・現在・未来を漂う。まるで香りの良いシガーのようなもので、ちょっとした毒だが、さぞ甘美なひとときとだろう。


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