2014/01/09

熱海から哲学を越える旅へ


 
2013年末、11月ごろからインターナショナルに活躍されておられるアカデミック界の方々とのご縁が続きました。いずれも文学・歴史・哲学に関わる方々でした。Gentlman'sVoyageの気が遠くなるような道中にて何かいままでとは違う人生の"Quest(探究)"が来た、という感覚がありました。何か違う流れが来ている、違う匂いがする、と。
 
そんな時、ジェッ子こと伊藤善之氏より、三重の医師で脳の進化(人化)を巡る究極の研究結果そしてAnswer を持っている人物がおられて、話を聞きたいんだけど、一緒に聞きませんか?という誘いがありました。世界に対するひとつのAnswerを導き出されておられるとのことで、非常に興味をそそられて行くことにしました。
 
未だ霊的な体験はしたことがなく、そのような能力も持っていないのですが、身近なジンクスを守ったり、小さなサインは信じています。その日、お手洗いに行った時、おもしろい数字と出会いました。5は、よく人生に登場する数字です。ご縁があるのかもしれません。4桁のぞろ目は時刻として目にしますが、5桁は珍しいです。

 
 
熱海の1泊2日で確かに世界観が更新させられました。哲学科で学んで、卒業後も無意識的に考えてきた最新の世界観だったのですが、たしかに書き換えることになりました。いっしょに参加していたのは、伊藤君、カリスマ編集者、建築会社社長、メディカル媒体経営及び慶応大学講師、理学療法士、というクルー(敢えて、Questな時間だったのでCrewというイメージ)でした。
 
。。。。人類は、紛争や戦争を意図的に生み出したり、核兵器を作ったり、貧困と富裕の格差を様々な手法を通して生み出したり、人類の手によって人類が生存しにくい方向へどんどん推し進めていく。なぜ?どうして?その明確な理由は何?
 
。。。。それは、救いようの無いほど、めっぽうややこしい生き物の集合体である人類は、今ここにフツーに生きていられる、というごく真っ当な有難味を(困難が存在しないところで)理解し、感謝し、味わうことが出来ない。敢えて次々にハンパなく困難な苦しみを感じないと有難味を感じることが出来ないから。。。。

 

2014年1月4日の朝までは、上のようなおおざっぱな答え?イメージ?の世界観を持っていたのですが、ついに哲学科以来、約25年ぶりに世界の見立てを大はばに更新しました。

世に存在するものは、大きくいうと2つに分けられます。シンプルで深いもの、複雑で浅いもの。前者は不安になるほど物足りないので、エネルギーの持っていき場が内省的な方向に進むしかないもの。一方、後者は表層的でどんどんモデルチェンジして横展開して、いつまでも浅い、という方向性。

いずれが優だ、劣だではなく、いずれも元気に存在していて、多様性が確保されている状態が理想ですね。ただ、現在は全体からみると、圧倒的に複雑で浅い、という方向のもの一辺倒なので、過激にシンプルで深いという枠(わく)はガラ空きです。

話が少々それましたが学生当時は、遠くにあるもの、複雑なもの、理解できないものを真実のように捉えてありがたがる、という当時の哲学の風潮に違和感を持っていたので大学の卒論はイマニュアル・カント(独)の認識論を選びました。

が、今回はそれ以上にシンプルでニュートラルでごく身近でわかりやすいところから脳・人・世界に対する答えを出してこられました。紳士風情の旅人であるGentleman'sVoyageも、HumanQuestの大いなる世界水路の傍らを旅したいものだと考えた次第です。

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