2015/05/04

“ 装う ” と “ 着る ” の違い

 

Dress(装う)は、着ている人間の意志が自分以外、つまりエネルギーが自分を含めた世界に向かっていることを言います。世界という大きなキャンバスの中に自分を置き、風景との調和や作用を意識する行為です。自然あるいは街の風景の中で自分自身の佇まいをどのようなものにするか、これを意識して描くことです。

Wear(着る)は、主に意識の方向性が自分自身に向かっていて、自分自身に目的があることです。着る、という単純な行為です。目的は、暑い・寒いという機能重視、突き詰めるとおのれにとっての快・不快を目的とします。クール・ビズがその典型例です。今の世の中はこちらが大多数を占めます。感覚的に言うなら現在では100人中98人、もはやほぼ10割といったところでしょう。

世界全体の一部として自分をとらえ、全体の一部として自分を見立て、その上でどのようなものを着るかを考えることが装うということですが、それはつまり自身を含めた風景あるいは景色を作ること、とも言えます。

装った人間が、高級レストランやホテルで優遇される、という理由がそこに存在します。これは絶滅危惧種ゆえの特権ともいえますが、この2%枠の美味しさに気づくか気づかないかで人生の愉しさが分かれます。

着る、は即物的で単純な行為ですが、装うは、世界を意識したもので、自らの意志が風景とともにあるという意識が“着る“との大きな違いです。歴史的・文化的にヨーロッパの狩猟文化で、自然色のツイードで“装う”のも、迷彩という機能由来とはいえ、風景を意識しているから、と言えます。

さて、春夏、あるいは真夏のハットはいかがでしょう?機能重視のクール・ビズ派ならば、被るだけで強い日差しが直接当たらない、体感温度が5度は下がるハットが必要なはず。被らない理由はどこにあるのでしょうか。まわりから浮き上がるのが怖いから?横並びでやってくれないと困るってことでしょうか。

ハットこそ、Dress派とWear派が唯一一致するアイテムだと思います。20代の、デザインにヒネらない、クラシックなハットも素敵ですよ。ふたりともヒネらない・ハズさない・アソばないクラシックな装いのS君とM君(画像圧縮のためハレーションしてます、実際はB&Wの千鳥格子)。

下は、Nさん。皆におススメしているのは、神楽坂にあるヤマダヤ帽子店のクリスティーズ(英)やテシ(伊)のもの。あるいは、最近、コンランショップやイデーにもクセのないハットが1万円代で売っていておススメです。

かつては夏が過ぎてヴァカンスが終わったヴェネチアでは、人生の夏休みを蕩尽した紳士たちのハットがぷかりぷかりと川に浮かんでいたとのこと。これまたキュンとくる風景じゃあないですか。。





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