2010/07/18

 『 インセプション Inception 』 を観て、


今日は昼は仕事だったのですが、神楽坂エドワードにて、持ち帰り鮨とビールで顔まっかになりながら、試写会に出かけました。暑くて顔真赤か、と思われるのは不本意でしたよ(笑)。ビールですから。今日は帽子被ってました。映画は楽しめましたよ。眠ってもおかしくない体調だったのですが、わりと集中してしっかり観ました。

現実 ⇒ 夢1 ⇒ 夢2(夢1の中でみる夢) ⇒ 夢3(夢2の中でみる夢) ⇒ 夢n(夢n-1の中でみる夢)..... と夢次元が深まっていくのですが、そこから、まるで時間の信用取引のように時間経過に関してはレバレッジがかかってくる(例:現実の1秒は夢1世界では10分とかそんなような、、、)構造となっています。(これまだネタばれじゃないですね)

夢-1までは、重力が同期していたりして物理学にいきなり生々しさが介入するように、製作者の 夢に対する『仮説』 のアイディアを猛烈にダイナミックに観させていただく、という愉しみがあります。昨今のたいがいのスリルに慣れている観客は、これくらいの設定じゃないともはや、おどろかないんじゃないか、というものが観られます。

各次元のプロフェッショナルが決死のミッション遂行中にディカプリオ演じる主役が感傷にひたっているシーンも、従来ならば、おいおいそんなことやってる場合じゃないだろ!もっと急ごうよ、って単純な焦りになるわけですが、単純に追っかけっこではないので、はいはい、自分の問題もしっかり解決してくれないと次に行けないんだよね、、、となるところが潜在意識エンターテイメントのややこしい、(おもしろい)ところですね。

ここに出でくる男女の 『仮想 (理想)の世界≒永遠の愛の世界』、これも結構深いサブテーマでした。ストーリーは、個人的には僕が勝手に“ 開放系 ”と名づけているもので、あらゆる階層のメタファー(隠喩)に用いることが可能で、いろんな空間のパーツとして、いろんな多次元の文脈に組み込むことも可能で、結果的にエニグマ、謎を作りだすコンテンツとなっています。

『謎』は、経済効果もあります。何度でもリピートしたくなるし、たくさんの種類のいろな深さの解釈が可能ですから、語られる機会も多くなり、語られ方にも厚みができて、語られる絶対数ページビューも増えます。開放系での名作は今は懐かしいデビッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』ですね。もっとも今回は、ジェットコースター的でスリリングですが。しかし、案外、時間が経っても記憶に残るのは、サブテーマのほうだったりします。。。

この映画のサブテーマは、人によっていろいろでしょう。ある人は、コンスピラシー(陰謀論的)、サブミナル、あるいはセカンドライフ、あるいは、リタイア・ブルー、、、、、いろいろでしょう。当、エドワードは、サブテーマを “ 永遠 ” と見ました。これは “ 夢 ” か “ 夢じゃないか ” は、曖昧だし、証明不可能で、実はコマがまわっているかまわっていないか、それは大事なことではないかもしれませんよ。そして、もっといえば、主人公の妻モルが正しい可能性もあります。

最終的には、覚める・覚めない、現実、夢、それはどうでもよくて、つまり醒めた“結果”という概念自体さえも、シームレスな時間・空間の拡散状態においては、なにかと線引きが好きな人間が勝手に、無理やり作りだした概念だったりしますし、最終的に存在した証として残るのは “ プロセス ” と “ スタイル ” だけだと個人的には感じます。哲学科出身ですから好きですねそういうことを突き詰めるのは(笑)

個人的な世界観とも 『 永遠 』 というキーワードにおいては、共通点がありました。僕は、人からしばしば不思議、といわれる人生観を持って生きていますが、これは、哲学科だったころから、子供のころからじょじょにイメージしてきてほぼ現在でも固まっている世界観です。数年前からお酒飲みつつふざけながら、しかし本気で人に話す機会も増え、もはや最近では簡潔にまとまった感があります。今もワインがぶ飲みしながら書いていますが、今回のサブテーマに乾杯ということで、酔狂にも以下に開陳します。


【この世は、特権的な人間だけが来ることができた世界。この世に来る前は、あの世なのですが、そのあの世というのは、頭の中で考えることがすべて100%実現する世界。しかし、あの世は、願えば100%実現するという完全な理想のイデアの世界(この世からフツーに見たらですが)なのですが、問題がひとつ。それは、その完全な理想が実現する日々が永遠に続く、という点。

ある意味、それは、出口のない、永遠の退屈を意味する世界。そしてそれは仮に想像してみたらわかりますが、ある意味、永遠に息が詰まる閉じた世界、もっと言えば地獄の世界ともいえます。そこから、特権的に、抜け出して、喜怒哀楽、そして、実現したり、実現しなかったりする自由がある世界、つまり今のこの煩悩渦巻く世界に今来ることが出来ている。

ですから、時々あの世が恋しくなって、願望実現100%というような考え方が懐かしくなってそのような本を読んだりする。しかしよく考えると、それはあの世を懐かしがっているだけで、せっかくこの世に来れた以上は、願望が叶ったり、叶わなかったりする(だから僕はあらゆる自己啓発本は退屈してしまって読めない)、自由の全体集合がでっかい、この世でこそ喜怒哀楽を味わいましょうね】 

という世界観。これはあらゆる現実に SUPERYES ( 造語 ) していくための世界観です。

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