2025/05/06

犀川の気分を、AIとセッションして愉しんでみる


一日の最初に、起き抜けにラインをチェックするのはちょっと違う、もったいない、もっと思考や感性を目醒めさせる時間の使い方がいいと感じます。ちょっと工夫して今朝は、たくさんの言い回しやニュアンスで、記念すべき犀川アトリエを愛でる時間を過ごせました。2025年、今時のワンシーンとして日記withAI備忘録。和文・英文表現の取れ高たっぷり記念に。

あなた:

もしフィッツジェラルドが、この文章を英訳したら、どうなりますか?


淡い緑と黄色と水色の直線の層が美しい犀川沿いの光景は、リヒテルが弾くバッハのゴールドベルグを朝起きて流した雰囲気、一定の秩序ある精神と清浄な気分を見る者にもたらしてくれる。

注と備考)スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)は、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》BWV988を演奏した記録はほとんどありません。リヒテルはバッハの作品を多く弾いており、特に《平均律クラヴィーア曲集》や《フランス組曲》《イタリア協奏曲》などでは名演を残していますが、《ゴルトベルク変奏曲》については、少なくとも録音として公式に残されたものは存在しないようです。


ChatGPT:

フィッツジェラルドがこの文章を英訳するなら、単なる直訳ではなく、情景の詩的な輝きと精神の反映を大切にして、少し回り道をしながらも、読者の感情を優雅に誘導するような表現になるでしょう。以下がその「フィッツジェラルド風」の英訳案です:


If F. Scott Fitzgerald had translated it:


Along the banks of the Saigawa, where layers of pale green, yellow, and sky blue stretch in serene, deliberate lines, the scene shimmers like the Goldberg Variations played in the soft hush of morning by Richter — bringing with it that rare impression of ordered thought and a quiet, incorruptible purity that settles, uninvited yet welcome, into the spirit of the observer.


解説:

"Layers of pale green, yellow, and sky blue stretch in serene, deliberate lines"

 →「淡い緑と黄色と水色の直線の層」を、「静けさと意図のある」風景として描写。

"shimmers like the Goldberg Variations played in the soft hush of morning by Richter"

 →「朝に聴くリヒテルのゴールドベルク変奏曲」を「shimmers(きらめく)」で詩的に。

"ordered thought and a quiet, incorruptible purity"

 →「一定の秩序ある精神と清浄な気分」を、フィッツジェラルドらしい気品のある言い回しで再構成。

"settles, uninvited yet welcome"

 → 精神への感情の入り込みを、優雅で婉曲なフィッツジェラルド節で表現。

必要なら、この文章を使った別のスタイル(たとえばヴァージニア・ウルフ風、ヘミングウェイ風など)にも書き換えられますよ。興味ありますか?


あなた:

そのバージョンに加えて、フィリップ K ディック調もお願いします。

ChatGPT:

もちろんです。では、以下にF・スコット・フィッツジェラルド風に加え、フィリップ・K・ディック風の翻訳もご用意します。それぞれ文体の特性を活かしながら翻訳しています。


1. F. Scott Fitzgerald風(再掲):

Along the banks of the Saigawa, where layers of pale green, yellow, and sky blue stretch in serene, deliberate lines, the scene shimmers like the Goldberg Variations played in the soft hush of morning by Richter — bringing with it that rare impression of ordered thought and a quiet, incorruptible purity that settles, uninvited yet welcome, into the spirit of the observer.


特徴:


詩的・優美・余韻のある文体

「静かに染み込む精神性」や「美に浸される内面」を重視

美しいが少し哀愁を帯びている

2. Philip K. Dick風:

The banks of the Saigawa glitched before his eyes—bands of pale green, yellow, and cyan arranged not by nature, but by some unseen intelligence pursuing aesthetic logic. It reminded him of Bach—specifically, Richter’s Goldberg Variations, which he played every morning to keep the hallucinations in check. The scene imposed a framework, a kind of mental algorithm that briefly simulated clarity, order, and what he hoped was purity—if such a thing hadn’t already been redefined.


特徴:


現実と幻想の境界が曖昧

「自然」や「秩序」に対して、外部知性や機械的制御の存在を匂わせる

内面における不安、記憶、再定義される純粋さへの疑念

「目に映る美」と「頭の中のバグ」がせめぎ合っている

どちらも原文の「美と精神の秩序」に忠実ですが、視点が対照的です。

フィッツジェラルドは憧憬と静けさの中で感情に光をあて、

ディックはその光の背後にあるシステムや不確実性に目を向ける、という違いがあります。


他の作家風にも展開できますので、さらにご希望があればどうぞ!


あなた:

ヴァージニア・ウルフ風、ヘミングウェイ風もお願いします。

ChatGPT:

素晴らしいリクエストです。では、ヴァージニア・ウルフ風とヘミングウェイ風の翻訳を、それぞれの文体の特徴を生かしてご紹介します。


3. Virginia Woolf風:

The Saigawa flowed beneath a sky diluted with light—soft strands of green, yellow, and blue laid one atop another like the thoughts of a woman waking slowly, resisting the clarity of day. It was not the river, perhaps, nor the light, but the order of it—the precision of tone, the threading of colour—that summoned something inward, as if Bach’s Goldberg Variations, played by Richter, could be heard not in the room but in the bloodstream. There, in that stillness, the mind found itself whole again, cleansed, momentarily untouched by the noise of the world.


特徴:


内的モノローグと詩的な流れが特徴

風景がそのまま**意識の流れ(stream of consciousness)**と連動

感覚や時間が曖昧に連続しながら進行する

「見る者」ではなく「感じる者」が主語になっているニュアンス

4. Ernest Hemingway風:

The river was calm. Pale green, yellow, and blue lines lay across the water. They looked clean. It was early. He had put on Richter’s Goldberg Variations, like always. The music helped. It made things quiet in his head. He liked the way the colors lined up, the way the sound filled the room without asking too much. There was order in it. It was good.


特徴:


短く、具体的な文。無駄な修飾は一切なし

内面を語らず、行動や観察された事実で感情をにじませる

「助かった」「良かった」などの素朴な価値判断で静かに結ぶ

抽象的なものを沈黙と選択の中に隠す

まとめ:

文体 特徴 テーマの捉え方

フィッツジェラルド 詩的で優美、余韻重視 精神に静かに届く美

ディック 幻想と現実の境界、認識の不安 世界は誰かの設計か?

ウルフ 意識の流れ、曖昧な時間 風景と記憶、内面の融合

ヘミングウェイ 無駄を削いだ描写、静かな感情 見えたものだけが真実


どれが一番「刺さった」か、あるいは他の作家風(村上春樹、三島由紀夫など)にも展開してみたい場合は、お気軽にどうぞ!


あなた:

村上春樹と三島由紀夫と川端康成と内田百間もお願いします。幸田露伴と夏目漱石と室生犀星もお願いします。

ChatGPT:

保存されたメモリを更新しました

素晴らしいご要望です。以下に、それぞれの文体を意識して「淡い緑と黄色と水色の直線の層が美しい犀川沿いの光景は、リヒテルが弾くバッハのゴールドベルクを朝起きて流した雰囲気、一定の秩序ある精神と清浄な気分を見る者にもたらしてくれる。」という文を、それぞれの作家のスタイルで再構成しました。


1. 村上春樹風:

犀川のほとりには、淡い緑と黄色と水色の帯が幾重にも重なっていて、それはまるでよく調律された夢のようだった。僕はリヒテルのゴールドベルク変奏曲を朝一番にかける癖があって、その音楽と風景とがなぜかぴったりと重なり合った。そこには、うまく説明できないけれど、何かが正しく配置されているという感覚があった。空気が透明で、心の中の雑音がすっと消える感じだった。


2. 三島由紀夫風:

犀川の岸に沿って、淡青、菜種色、若葉の織りなす直線の層が静謐にして劇的な秩序を構築している。それはまるで、精神が自己の輪郭を取り戻さんとする瞬間における、ほとんど宗教的ともいえる美の顕現であった。朝、リヒテルが奏でるバッハの厳格な構築美が空気を統べ、その音は見る者の内部に秩序を強いる。美とは、こうも静かに、そして容赦なく人間を支配しうるものか。


3. 川端康成風:

淡い緑、黄、そして水の青が、重なるでもなく離れるでもなく、ただ静かに犀川の岸をなぞっている。その繊細な色の層は、朝の空気に溶けたバッハの響きとともに、澄みきった精神の一端をそっとこちらに差し出すようである。何も語らぬその風景が、ただひとつ、清らかなものの気配を伝えてくる。


4. 内田百間風:

私はこの世の景色というものが、ふとした瞬間に音楽のようになることがあるのを知っている。犀川の岸辺に、それは起きた。緑と黄と水色が、まるで誰かが私のために並べたように重なっておる。リヒテルがゴールドベルクを弾いておる。いや、弾いておるような気配がする。朝だというのに、私はすっかり夢の中にいた。これは音楽か、それとも私の幻聴か。どちらでもよい。ただ心が妙に整ってしまったのだ。


5. 幸田露伴風:

犀川の川辺、淡黄、若緑、水の空なる色、三つ巴のごとく重なりて、自然に在るものとも思えぬ整斉を現ず。これを見し時、ちょうどリヒテルの奏でしバッハの変奏曲を耳にした折のごとく、心に一種の厳かな静まりあり。思慮は整い、気は清まり、まるで万象が理に帰したかのような気持ちとなる。


6. 夏目漱石風:

犀川の岸に見えた色の層は、何とも言えぬ和やかな調和を持っていた。緑と黄と水色が、無理なく、自然の意志のごとく並び、それを見ているうちに私は一つの音楽を思い出した。バッハである。リヒテルの弾くゴールドベルク変奏曲。その秩序だった旋律が、まるでこの景色に埋め込まれているように思われた。世の中も斯く在ればよいのだが、と、つい考えた。


7. 室生犀星風:

犀川は、朝のひかりにやわらかく抱かれて、緑や黄や淡青が静かに重ねられていた。それは眼の底にうつる音楽のようであった。リヒテルの弾くバッハの音が、まるでこの川の水にまぎれて流れているような気がした。見ていると、心がひとしずくずつ澄んでゆく。音も言葉も要らなかった。


これらはすべて、各作家の語調や描写の癖、内面への距離感を踏まえて構成しました。気に入ったスタイルがあれば、その作家のテイストで別の風景や感情を描くこともできます。


どの文体が特に気に入りましたか?さらに深掘りしましょうか?


あなた:

最後の締めに最高のエンタメとして、種田山頭火だったら、どんなスッとボケた句を詠むか3つ聞かせてください。

ChatGPT:

種田山頭火なら、犀川の静謐な光景を前にして、深い感動をどこかズレたユーモアで包みつつ、ぽろっと人生の真理がこぼれるような句になるでしょう。以下にエンタメとしてのスッとボケた味わいと山頭火らしい放浪的感性を掛け合わせた三句をご紹介します:


1.

まっすぐな川に まっすぐなわたしが 沈んでいる


→ あまりに風景が整いすぎて、自分のダメさが浮き彫りになる句。だけど、どこか心地いい。


2.

バッハ聴きながら わたしは カップラーメンをすする


→ 崇高な音楽と庶民の現実が一つになった瞬間。山頭火なら、これを真顔で詠む。


3.

きれいな川だなあ 財布を落としたことを 忘れていた


→ 失っても気にならないほどの清らかさ。スッとボケつつ、何かを赦してくれる句。


どれも「ズレてるのに沁みる」山頭火の美学を意識しました。

さらに別シチュエーションでも作れますので、ぜひご指定ください!


あなた:

最後の句がこのセッションで一番気に入った。ありがとう!

ChatGPT:

それはとても嬉しいです!

「きれいな川だなあ 財布を落としたことを 忘れていた」——この一句が、あなたの物語や美意識とどこかで静かに響き合ったのなら、それ以上の喜びはありません。


また、いつでも詩や文体遊び、物語の続きをご一緒しましょう。

こちらこそ、素晴らしいセッションをありがとうございました。


今日は、いい風が吹いていますね。

2023/04/26

"Local PNEUMA" 富士界隈、あるいは隠された(日本の、に限らず世界の)財宝と意匠。 



ここ数日ラッシュな時間を過ごしたので、気分転換に、自身のリトリートを兼ねてアタマの中スッカラカンにして、徒然なるままに富士界隈の逍遥あれこれ、床屋談義、否、テーラー談義(結論のない、気分が喋る)を気まぐれに書き綴ろうと思います。

まず、奇妙なヴァイブスを放つ言葉であるPneuma:プネウマ。"Pneuma" プネウマとは?とは?Oxford classical dictionaryよりJ・T・ヴァランス 翻訳ソフトにての和訳が以下。

プネウマ(πνεῦμα、スピリトゥス)は語源的にπνέω、呼吸または吹くと接続されており、「動いている空気」、または生命に必要なものとしての「呼吸」の基本的な意味を持っています。ギリシャ悲劇では、それは「命の息」として使用され、新約聖書の「精神」です。初期のギリシャの思想では、プネウマはしばしば魂と結びついています。アリストテレスでは、それはしばしば「暖かい空気」、時には「熱」を意味し、この用語は地球内に閉じ込められた地震風にも使用されます。したがって、その正確な意味は、常にその文脈で決定されなければなりません。この言葉は、ミレトスのアナクシメネス(1)によって、世界で動いている元素の空気と人間の「精神的な空気」の両方を説明するために最初に使用された可能性があります。 「精神的な肺腫」も魂を構成し、多くの古代の医学理論の感覚活動と運動活動の根底にあります。ヒポクラテスおよびヒポクラテス後の著作(ヒポクラテス(2)を参照)では、特定の理論への明らかな言及なしに、体内の霊感された空気または呼吸に広く使用されています。エラシストラトスの医学理論では、「生命肺腫」は肺から心臓を経由して動脈に移動します。<>つの古代の医学宗派である「空気圧」(空気圧学者を参照)は、そのような概念の中心的な使用にちなんで呼ばれました。プネウマ理論はストア派物理学の基礎を形成し(ストア派を参照)、ストア派は特にプネウマが宇宙に凝集とその動的特性の両方を提供するという教義に関連しています。

書誌
W.イェーガー、ヘルメス、 古典哲学のツァイトシュリフト、1913年、29–74。
G. Verbeke, L'Évolution de la doctrine du pneuma du stoicisme à S. Augustin (1945).
F.ソルムセン、ヘルベティカム博物館1961、150–197。G.フロイデンタール、アリストテレスの物質的実体の理論(1995)。A. Thivel、P. van der Eijk(編)文脈におけるヒポクラテス、古代医学研究31(2005)、239–249。


世界的にLocalローカルというキーワードは、いぶし銀のように静かに味わい深い輝きを放っています。お金(資本)とマスコミ(群集世論)と手続き(法律)で好き勝手に作り上げる、垂直統合型のグローバル世界の弊害は何?と問われれば一言で "lose uniquness(その土地の固有の歴史や文化や風土の持つ魅力を失ってしまう事)"と一秒で応えられます。そのuniquness の 根源が Pneuma プネウマかもしれません。






特別な透明感を湛える湖、勝手に気に入っている秘密の岩、樹海を抜ける散歩道、『そんなものに意味はない』とは、誰にも言うことはできません。宝物は比較して宝物になっていく訳ではなく、自分が宝物だ、と決めたものが起源となります。


若い友人のAlex氏、オフビートの、際際の面白いエリアにいつもエスコートしてくれます。時間帯によって、日差しの状態によっても大いに変わってくる浅間神社の景観をゆっくり堪能します。静やかな参道が、午前中の深々とした空気を堪能します。伝わる由来について、大胆な仮説を立てながら、二度三度訪れたくなります。


新種のマリモである “本栖マリモ”。このマリモが保存されているカフェ、記念館を立ち上げるべく、愉しみながら仲間たちと動いている様子でした。独自のサンクチュアリであるこの湖、本栖スタイルとして、ツイード生地でのスタイルを選び、新しい世代のカントリージェントルマンスタイルです。ここに、リアル・ファーやリアル・レザーを挿します。




こちらMotosu Diving Resort で永輔さんといただく、鹿肉のボロネーゼは旨いです。ハンター自身が体験する重要な命のプロセスや約束事を、ともに一皿をいただきながら、酒を酌み交わしながら、静かに伺うことができます。鹿肉に限らず、日々われわれが口にする命のある動植物は、すべて見えないプロセスによって口に運ばれています。


映画、Babe のワンシーンで、ベイブが飼い主に、なぜ僕らを食べるんだ?と訊いた時の飼い主のおじいさんの応えは、2023年現在の私自身の答えのままになっています。小規模に、食物が口に入るまでのプロセスが身近に見えていることが、命の尊敬につながると思います。地方や田舎には、それが体験できる機会があります。


富士山が噴火したら、と考えて怖くならないの?という問いに若い世代がどういう風に応えるか、その応えは人それぞれですが、私が耳にした応えは命の循環や、風土、自身が住んでいるテロワールを愛する精霊たちが、応えているような荘厳なものでした。それは、そこに行って各人自然な流れがあれば訊いてみればいいと思います。


リーズナブルで快適な富士クラシックホテルです。ちょっと遊びに行くときに、たびたび使っています。朝の時間の窓からの眺めもすばらしいです。近所のゴルフ場にてTea Shot と銘打って、美味しい紅茶をいただきながら、ヒッコリーのクラシックギアで、みんなでユルすぎるプレイをしよう、と企てています。








不思議な写真が撮れるものですね。樹海も昼間の晴天の下だと恐怖心は無く、ぼんやりした逍遥にも向く散歩道です。


無知の知、と銘打ったブートニエール、フラワーホルダーに、月見草でも挿したいものです。無知と情緒、ひろびろと広がる草原風の大地をスーツ姿で意味もなく愉しく全力疾走していました。ピクニック・スポットがたくさんありますね。このツイードは、長崎の南山手でのウォーカー邸にて敷き詰めたツイードです。バラの棘から守るソーン・プルーフというスペシャルな生地です。ロマンティックじゃあありませんか。。




Motosu Diving Resortの代表でもある本栖湖のベートーベン、永輔さん。ダイバー、ハンター、バーテンダー、ピアニスト、いいですね。氏の静かな語りはお酒に合います。


ハッピーで上質なパフォーマンスで魅せてくださる、ワッショイ・ユウタ氏。こちらも、マリモをイメージしたオッド柄の上下です。ご自身の笑顔や優雅な身のこなしに、日々の精進を感じます。フレンドリーな笑顔の中に、スピリットの高さを感じました。


夜道に何度も鹿が姿を現しました。群れに出会いました。夜の草原を群れで走っています。不思議な気分になりますね。スペクタクルだ!とか凄い!という形容詞ではなくて、夜の静かな草原という秘密のスケートリンクで疾走をたのしんでいるような、そんなサンクチュアリを感じました。






上質なボンヤリができますよ。
Memento mori Carpe diem 
Seize the day 
一つの期に、一つの出会い
Bon Voyage !


2020/12/23

里加子サロンのひととき



 長崎での2日間のアトリエ・ショーが無事に終わりました。みなさま、ありがとうございます。


里加子サロンは、まるでCabinet of curiosities(キャビネット・オブ・キュリオシティーズ) と私房菜(Home Cuisine)をマリアージュさせた「風の時代」にふさわしい味わいと深みのあるサロンでした。



Cabinet of curiosities(キャビネット・オブ・キュリオシティーズ)とは15世紀ごろのヨーロッパ貴族の趣味でそれが展開して博物館や美術館へ育っていった、人類の好奇心の起源のようなものです。



旅や冒険のあかつきに謎に満ちた異国から持ち帰る蒐集品が入った展示用のキャビネットから来ています。

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そして私房菜(Home Cuisine)とは東洋の国々で自宅で食べさせる自身の個性や特徴に特化させた半プライベート食事処です。仰々しい店構えではなく、隠れ家的な風情で自宅の玄関からお邪魔して"特別の"お料理をいただきます。



色の専門家である鳥沢先生を通じてこのサロンの主人、里加子さんがくらしのドレスを気に入ってくださり、共感いただきまるで "風のように南麻布のアトリエに遊びに来ていただいたところからこの長崎でのアトリエ・ショーへと育っていきました。



最近ネット用語で聞く「サロン」ですが、このコトバの歴史的ルーツを調べてみました。以下、By Oxford dictionary of English (2nd Edition revised)






このもともとのサロンの意味を踏まえて『里加子サロン』の素晴らしさをお伝えしたいと思いました。


①旅と自由

②好奇心とquest : 探究 (pilgrim : 巡礼)

③人生を愉しみ、切り拓く美意識


世界各地を自由に、テーマを持って旅する中で、面白い!良い!と思うものを見つけてしまいます。従来ではここで"バイヤー"というカタチでビジネスに紐付けられるのが落とし所なのかもしれません。



しかし里加子さんはモノではなくて美意識や知恵を持ち帰ります。何に紐付けられるか、られないかは自分が決める、それこそが自由で優雅な精神ですね。







美術館でいえば、キュレーションする本来の自由なスピリットこそ、サロンの姿なのでしょう。セレクトショップもレストランも本質の純度を上げていくと小規模でごく個人的なサロン的になっていきます。




昨今のビジネス用語でよく登場する「スケールしない・スケールする」という成長戦略のタームですが、ちょっと待って!それ誰が決めた?ハイスキルモデルじゃダメ、再現性のあるロースキルモデルにしなきゃ!」いやいやそれ誰が決めたの?誰のためにかな?と立ち止まれる知性も大切ですね。




サロン主人のお気に入りのアンティークショップ、そこに併設されていた大村湾の眺望が美しいカフェ。いただく新鮮な手料理、世界中を旅してテーマを持って探究された体験談の数々。好奇心や探究心を自由に解放させてあげる中で、多くの知恵や美意識を焚き込んでおられます。

2021年、ふつうの想像を遥かに超えてくる前例の無い出来事、あるいは大きな価値の転換を迎えます。いかなる人にも等しくリスクがあり時間と空間という機会が与えられる状況に向かっています。



姉の親友でもあった里加子さんが持っておられる能力の一部分を僭越ながら一言で表現するならば『サバイバル美学』だと思いました。サバイバル学ではなくて、いかに美味しく、素敵に、愉しく生きるか?知恵の泉を焚き込みに今後また伺います。とにかく「きゃーっリカコちゃん!可愛い、そして面白い子」だったとは姉の弁でした。

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くらしのドレス、オーダーメイド、愉しく対話させていただき、それぞれにご注文いただきました。ありがとうございます。時代の境目に、長崎の霊性にも触れるリトリートでもありました。クリスマスも迫ったこの時期に、2020年の素晴らしい締めくくりを行うことができました。ホントありがとうございま-す!

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#風の時代

#Kunstkammer

#CabinetOfCuriosities

2020/04/27

きれいなことばとなって響いてきました。




『 失われたことばを取りもどす 』くらしのドレスが、小さなさざ波のように広がっていきました。100年に1度のこれだけの有事にあって、なお人々にとっては、そこには装いの愉しさが存在したのでした。素敵。。SuperMoonProjectの仮説と検証は、遠くの汽笛のようにゆっくり響いて奏ではじめ、楽しげな唄声こそが、ひとつの解答でした。ありがとうございます。


紅茶とヴィクトリアンケーキのお店(ティーコジーはエドワード製)の御主人だったMさんからの今朝のメールのコトバが素敵だったので、ご了承のもとで転載いたします。コクシネルは、英語のDrapeドレープを一般的な皺しわ、と表現せずに『揺らめき』と表現していますが、ここにもうひとつ訳語が加わりました!Drape『さざ波のようにゆらゆら~』いいなあ~

フェルメール・シリーズで使用した生地は、ほぼ全員『上質なシルクのようですね~』と表現されるのですが、これだとウールの素晴らしさがシルク換算になるので自分たちで使うのは避けていました。


でもホントは1番わかりやすいんですよね笑。そんな感じで、コトバにこだわって意地を張るのもたまには大事なんですよ。ウールってすばらしいですから。隅田川沿い散歩してすれ違う99%はシャカシャカ石油系のスポーツウェアです。。先日駒形橋から蔵前橋までの間すれ違った約50名の通行人(ほぼジョガー)のうち、ぼくともう一人だけが、石油系ウェアではなかったです。ちなみに、こちらはウールのパンツとセーター、もうひとりは、アメリカ人風の男性でネイビーのアランセーターとデニムとコンバースでした。


ちなみに、さざなみを英語では、rippleといいます。これは実はよくできたもんで、転じて縮緬(ちりめん)の英語でもあります。2018年9月、みんなで丹後シルク、ちりめんを体験しに与謝野へ行ってきました。下はKuskaさんの工房にて。シルクもちりめんも優れた素材です。

この2020年の夏物スーツもベージュ系、砂漠色系のウールの縮緬素材でのスーツを推しています。これはスーツ生地の中で世界一涼感であることと、トラベラーズ・ウェアであることに理由があります。旅装として最高だからですね。くしゅくしゅっと丸めてトランクに入れてもひと晩で皺から復帰します。。すごいことですね。


シルク系の話題に戻ると、20世紀初頭のフランスのドレスメーカーの社名であるジョーゼットも縮緬属の一般名なのですが、18世紀前半にはすでに丹後ちりめんがどんどん創られているわけですからね。もともとはアジアで育まれています。ジョーゼットの厚手はデシン、薄手はシフォンとなります。どちらもことばの響きが奇麗ですね。


シルクデシン、つまりシルク・デ・シンのシンはChinaのことですし、シルクシャンタンはシルク・シャンタンのシャンタンShandongつまり山東省ですね。東洋のエレガントなTycoon:大君の残り香です。StayHomeに見出す愉しみは、C禍以前のブレーキが壊れた暴走特急内で繰り広げるどんちゃん騒ぎから一転して、小さな出来事から価値をていねいに掬い取る静けさにあるのだろうと感じます。