2011/03/28

画竜点睛 Finishing Touch



エドワードエクリュのカスタマーの方を全身モダン・ジェントルマンスタイルという入り口までまずは一気にお連れする、それが最初のミッションと考えています。そしてたまに3ピース・スーツ納品時において、まだ何かが違う、と感じることがあります。 24日(木)は、納品後、眼鏡店オリバー・ピープルズ直営ショップ@青山までお客様お連れし、眼鏡をセレクトしました。

つい2、3年前までは、探しても探してもなかなかったベイシックなウェリントンやボストンタイプの眼鏡。いまやブームなのか一気に市場に同じものが溢れる、というのも若干気になりますが、品揃えあります。 一気にアレン・ギンズバーグかと思うほどのビートニクス的な、ポエトリー・カフェに出没しそうな極端に文科系・アート系の世界観に振り切るのではなく、スーツにナチュラル合わせるには『ほどよくコンサバ、ニュートラル』な、冷めた距離感が、眼鏡のセクシーさだと思います。


今期はオリバーもやはりクラシック回帰でアーカイヴからのラインアップが増えています。サングラスでは、『デニム』という色のブルーがやはりピカイチでキレイです。ジャック・ニコルソンやアル・パチーノなど、ハリウッド・ピープルもお好きな、プライベート感が強い色と仕様です。 フレームの価格に、レンズ代の3万~4万くらいの金額を加えたものが全体の定価となります。ですから、だいたいトータル7万円くらいになります。今年の夏はサングラスつける人も増えるかもしれませんね。

サングラスは、現在クライアントのものも含めて、イタリアのクラシックなレイバンともいえる、Persolを探しています。しかし残念ながら現在日本ではなかなか売ってるところがありません。 それにしても、日常的に、核反応物質の量を一応チェックするような、なんとなく、世の中(東京)がサイバー・パンク的になってきました。アドレナリン出してる状態がディフォルト、という東京の環境にたくましく順応した人間が増えてくるかもしれませんね。

2011/03/25

3月23日(水)より、通常営業開始。





“ 新 ” 日本への復興は百人百様、それぞれの分野で、それぞれのやり方で、継続的にやっていきたいものですね。日本に、怒りや悲しみをもたらした311体験によって、一層 “ 生きる知恵 ”を更新させ、自分の哲学を進化させて、現実世界を意志的に生きたいものですね。

11日の地震発生から14日までは、仕事に集中しました。しかし15(火)午前中状況判断で東京を離れました。そして22(火)まで一家九州におりました。乳幼児がいることもあり緊急避難するべきと判断し、前々から行こうと言っていたこともあり、このタイミングで九州旅行を急遽決行することにしました。

長崎⇒鹿児島⇒福岡と滞在し、ご挨拶まわり、お墓参りや、クライアント先の納品アイテムのメンテナンスなど、実質的な1週間でもありました。旅の前半はニュースを見なかったかわりに、平和公園 (人間はあやまちを繰り返す、残念ながらそれが真実だと人間は気づきはじめました) 原爆資料館に行っていました。

加えて、幕末のキーマンである、トマス・グラバーはスコットランド人だったのだと、実は今回の旅で初めて知りました。21歳で経済人として長崎にやってきて、20代後半で日本で最初に鉄道を走らせ、造船施設を作り。。。幕末の志士たちがどうしてあのような力を持ちえたのか、TVドラマや歴史教科書ではとうてい納得できる表現も説明はありませんからね。


23日午前中より通常営業です。311の、とんでもなく大きな一日から10日余り、自分なりの日常をスタートさせました。そして本日夕方、スコット(うちの乳幼児3ヶ月)が現在いる長野県松本市から帰京しても大丈夫、という連絡をしました。個人的な多くの情報源からそう判断しました。

一般的なニュースが過度に煽れば煽るほど、個人的には安心感が増します。ひとは誰でも生まれた時からあらゆる場面で二者択一に勝ち続けながら(ある意味、普通のギャンブル以上の確率で)生きているわけで、徹底的に調べて、考えて、決断したプロセスの存在は必要条件であるとしても、それに加えてツキがあることがサバイバルの必要条件。これは今にはじまったことではないですね。

2011/03/13

3月11日金曜日 大地震の日



当日、たまった事務仕事を一気に終わらせるべく昼食抜きで机にかじりついて仕事していました。午後2時40分過ぎ、あっ、地震だ、、、と気づいたものの、スルーしていました。音がいつもと違う感じになってきて、、、明らかにビル全体がぐらぐら揺らぎ始め、本棚から本が飛び出し、鏡が倒れ、床に並べているワインがガラガラ崩れてちらばって、、、、



その時点で、ルームシューズのまま、外に出ました。いろんな人が外に出ていて、、100メートルくらい先にある15階建てほどのビルがゆらゆら揺らいでいる、、、さすがにそんな風景は初めて見ました。妻子が神楽坂に向かっていたので、それがまず気がかりでしたが、直後メールにて神楽坂下にて無事とのこと。合流して、僕が腹ぺこだったので、最近できた毘沙門前の『PAUL』にて昼食。



せっかく遊びに来てくれたものの、二人の帰途が心配だったので、MKタクシーを予約しようと電話したところすでに電話自体が不通になっていました。そのあたりの感触から交通機関全体の大混乱を予測できたので、神楽坂の丘の上にあるホテル・アグネスに向かいました。ちょうど4時ごろ、フロントにて、2階の非常階段そばのツイン・ルームを予約して二人と別れ僕はいったん仕事に戻りました。



赤坂見付にて午後7時ごろ仕事を終え、歩いて1時間30分かけて神楽坂に戻り、途中サブウェイで食事と飲み物を買い込んで、アグネスに戻ると、すでにロビーには人であふれていました。部屋に戻ると、立派なベビーベッドを用意してくれており安心しました。当日、寝ずに宿泊客のケアをされていた顔見知りのアグネス千賀社長、溝口くんはじめ多くのスタッフが細やかに気を配ってくださり、心強く、頼もしく、さすがだな~と感じました。

機動力・サバイバル力の高いソルジャーは、武器の几帳面なメンテナンスはもちろん、身づくろいや洗顔、髭剃りにいたるまで、日々の習慣を有事・平時同じリズムでやるタイプだ、ということを外人部隊の大佐の体験談で聴いたことがあり、その体験談にあやかるべく、翌朝はいつもと変わらず、ジャケットにポケットチーフをきちんと挿して朝6時30分に一家三人でアグネスのビュッフェで朝食をゆっくり摂り、僕は変わらず仕事に戻りました。

しかしながら、何があってもまずは、各自サバイバルです。今後、まだまだ、余震でゆらゆらしている状況ですし、不安な日々がしばらくは続くはずです。できる範囲で各自安全にすごし、援助すべきところはポイントを突いて援助し、復興支援にも有効な一手を考案して徐々に参加していくつもりです。

就職難で困っているフリーの人々が、戦争活動と切り離した上での陸上自衛隊・復興部門などに入隊して、被災現地にて復興活動をして、一定の報酬をもらい、一定の就職履歴を獲得して、それが平時の就職活動の際のプレミアム人材となるような仕組みを近々、微力ながら、陸自関係者に提案してみます。

2011/03/08

和文化の優雅さと凄み



海外のジェントルマンたちと話していて思うことは、いつ・どこで・なにをするにしても、自分なりのテーマを持って動いている人間が強いということ。自分のテーマをはっきり、シンプルに、そしてできればチャーミングに表現できると、滞在した土地において充実した・美味しい体験が保障されようなものです。

加えて、できることなら、自分の国の文化・歴史についても、テーマを持って考察していると一層愉しさが深化します。必ずしも、全世界の歴史を教科書的・優等生的に知っている必要もなく、自身が強く興味を持つ部分について、深く知っているほうが、いろんな意味で楽しめるように思います。しょせん、教養は社交のひとつの道具に過ぎませんから。

さて、微力ながら関わっている 『 わいず 』 主催の夜会ですが、かなりお勧めです。(※僭越ながら予約の取れないレストランと同じで、席が残っていない可能性大なのですがご了承ください)前回も、京都の茶屋の料理が、圧倒的なクオリティで圧倒的な量でサーヴされました。ペニンシュラの内装でも有名な橋本夕紀夫氏が手掛けた空間も優雅であり、そこで味わう洗練された和文化は、静かな凄みが漂います。

2011/03/05

Toward the summer



 体調崩して、静養中の友人であり、クライアントのR氏よりミュージックテープなにか作ってください、とのことだったので、ふだん僕が聴いている音楽から、夏に向かってぼんやりしながら、いい気分になってくるものを10曲貼り付けときました。明日は札幌へ弾丸ツアーです。




























2011/03/01

尾州産



尾州(びしゅう)とは、現在の東海道の西部、愛知県西部の一帯を指します。水に恵まれた肥沃な大地には、現在でも、世界に誇れる日本産の毛織物の老舗があります。このあたりの “ 土地の気 ” には、織田信長や豊臣秀吉を輩出した地のエネルギーを感じます。

水と大地。地の利を生かして鉄道敷設により一気にパワーアップした経緯は、英国毛織物の発展の歴史と共通します。7~8年ほど前、クライアントのトラウザーズを作る際、見つけたヴィンテージ調の(というか、完全にヴィンテージだと思われた)の新作を使用したのがここの生地との出会いでした。

今でもはっきり覚えているそのファブリックは、それほど重くないチャコール・グレイのフランネル地で、淡いコーラル・ピンクのようなストライプ(ピッチが12ミリくらい)に加え、その横に2ミリくらいのところに沿うようにドットがある柄でした。近年、ジル・サンダーやヴィトンでもこの老舗のファブリックが採用されたのも、その独特で、贅沢な素材感ゆえでしょう。

今季2011年春夏、今まで定番的に使わせていただいていた、ロロ・ピアーナ、ゼニアともに、正直言って、もどかしいくらいに、ピンとくるものが無かったために、半ばブチギレ気味に生地バンチ自体を全部返却してしまったので、今回のツアーになったという事情があります。

無限に近い過去の在庫含め全てを見て、季節関係なく生地を買付け、ホーム・スパン(スポーテックス調)、ミドルウェイトのウーステッドなど、決して外さず、あくまでも優れてベイシックで、上質なものを買い付けました。目利きを発動するのは一瞬で、視野に入るピンとくるファブリック(僕にとって圧倒的に優秀だ、と感じるもの)は無意識にピックアップできます。

小岩発05:07 → 名古屋07:29 → 尾張一宮07:58 → 玉ノ井(現地)08:09 到着という、いつもながらの弾丸だったので、11:30にはほぼ業務は終わり、午後は新大阪のクライアントに納品に伺い、自宅到着が午後10時でした。下は、伝説の低織機、ションヘル織機。旬の時代を、蒸気機関車のように男らしく動き続けます。力強い存在感は、われわれにとって深いメッセージですね。