2016/06/24

その人らしい自然に近い眉型が、一番美しいです





2016年、求めている美意識の持ち主にリーチするにあたって、ひとつのリトマス試験紙があります。その人らしい自然な眉が、太かろうが細かろうが、一番美しい、と知っている方々です。こればっかりは、現在探してもなかなかいませんよ。ちょっときれいな顔立ちをした男子はみんないじりますから。ここで、踏ん張っていじらない、そのままにしておしゃれさを成立させている若者がいたらそれは大したものです。ヘッドハントします。これは100人中1人以下です。1%以下ということですね。

上の2年ほど前の神楽坂で撮影したボーイズ君たちの写真ですが、まず彼らにお願いしたのはヘア・サロン風のエアリー・ヘア禁止に加えて眉の形を作りすぎるのやめてね、ということでした。その芸能人ワナビーなスタイルは99%のその他大勢の一般人に任せて、君らは眉いじるの一切止めて、髪型はスリークにしてアタマ小さく見せよう、というアドヴァイスです。

男子⇒紳士が、シンプルで上質な装いをして全体の佇まいが美しくまとまる必要条件がありますが、洋服以外の要素で、着こなしの装い全体がダメになってしまうことがあります。Dresssir@( ドレッサー : 装いのアドバイザー )の仕事は、クライアントの全体のルックの仕上がりに責任を持つことなのですが、たとえば、いくらフルハンドメイドの120万円のスーツを着ていても、最後の仕上げ、Finishing touch でミスると、12万円のスーツに完膚なきまでに敗れ去ります。

120万円のスーツで装い、一般人であるにもかかわらず、眉毛が女形のようなヴィジュアル系だと、クラシックな着こなしにおいて、台無しになります。たった眉毛ごときで。。。必要があって、そうしている方々は問題ないとして、良かれと思って御自身でされている場合は、失礼にならないようにその旨をアドヴァイスします。眉の形作り過ぎ、とノータイした白シャツに黒ボタンや見たこともないアクセントはワンセットです。



​國枝君が通っているバーバーでも、そのままが一番いいじゃん、と言ってくれるらしいです。それが最近やっと増えてきたバーバーにおいて、旬のバーバーか、ちょっと残念なバーバーかのリトマス試験紙じゃないかと思います。できるだけ、そのひとの持つ素材を生かしてくれるほうがナチュラルだし一流のものが表現できますよね。スタッフ自体があまりにも、人工的にイイ男風に、作り込み過ぎている場合も彼が表現する・作り上げるものが、どんなものになるか、少々厳しいです。テーラーも一緒です。クラシックにいくのであれば、という意味ですが。。

昨今、銀座・丸の内・日本橋・青山・新宿界隈を歩いていて、おしゃれに気を使っていて、比較的きれいなスーツの着こなしをしている男性ビジネスマンのほぼ98%が自分の眉毛の形を作りすぎています。なぜかイタリアン・レストランのスタッフもそうです。服飾系じゃない人のほうが、作りこみすぎます。

眉の下の部分を剃り、爽やかになることはありません。コワく見えます。必要最低限のお手入れが一番です。昨今、スターの座をいろんなスキャンダルで失脚してしまった(再起は可能でしょう)スポーツ選手やキャスター候補の人工的な眉型を今一度思い起こして欲しいです。手軽に安く出来るデザインではなく、習慣と美意識が表に出るパーソナリティからにじみ出るニュアンスで勝負するほうが高級な心意気です。

自分を自分と違ったものに見せたい努力は、本当の自分を認めていない印です。眉はそもそも、自分がどんな人間なのかを相手にわかってもらう為にあります。⇒ これは、知人の家具屋のジョージさんの御祖母ちゃんがジョージに言ったアドヴァイスですが、エドワードもまったく同じポリシーで大いに共感しました。眉で何かを表現するとしたら、その最高のものでさえ、それは記号論的にいうと “ 素朴さ” だけです。  先日、表参道近所に自然眉コレクターを感動させる男性がおりました!いつも美味しいお蕎麦をありがとうございます。。




番外編 : 

神楽坂エドワード時代の2014年、女性スタッフ2名にシャネルの開発エグゼクティブの方に太眉の作り方をプロ・コーチングしていただきました。それぞれに、強烈に自分のモノにしていったと思います。当時、複雑怪奇なエドワードのプレス・総務全般をしていたころのCopel こと上原さん。

シンプルでシュアーなデザインを早々に完成させないと、(一番大切な)ニュアンスを出す段階まで行かない。ニュアンスを出すためには、一々、今風の流行に左右されるヒマはない、シンプルに決めていかないと、ということが彼女の装いに現れています。今年の9月22日に、かなり大きなパーティーを催すので、そこで、彼女がオートクチュールという魔法を使って何を出してくるか大いなる愉しみです。






2016/06/17

Cufflinks  淡い色、端正な佇まいのカフリンクス





エドワードエクリュでは基本的に、1アイテムにつき、1オリジナルデザイン&製作しています。もちろん予算の関係もあるのですが理想の終着駅はコレですと言い切りたいからです。たった、一個のアイテムで言い切ると、表現したりないことがたくさん出てきてもどかしい部分、満たされない部分も出てくるのですが、打ち出したいコンセプトがシンプルにひとつ発信できた、という点に気持ちを集中させると大いに満足します。購入されるほうからしたら、意図がわかりやすい、明解だ、というメリットがあります。ああ、なるほど、エドワードエクリュはそんな美意識なのね、というわけです。

まず、ガワ(縁・フチ)が薄いこと。トップの周りのフチの薄さは技術力の証明です。たとえば、繊細に作られた銅版印刷の名刺だと、名刺のフチの線が細ければ細いほど版ズレが目立つので、よっぽど精度に自信がないとできません。薄いフチは1920年代前後の、東洋からの影響もある繊細な線の意匠の時代であるアール・デコ的な美意識もあります。技術力を目立たなくさせることに使います。時計などでも、ガワが厚いG-shockから、クラシックな1920~1950のロンジンやブレゲなどの繊細なガワまで、好きなものは人それぞれですが。。。ここでいうと、ガワとは表に見える純銀の部分です。

トップの部分が、手仕事の宝石である七宝焼(エマイユ)で、そして淡く色づけされている理由は、白・淡い青・淡いラベンダーが基本の必要シャツ・バラエティにおいて、シャツとのコントラストをできるだけ、小さくしたいからです。コントラストを無くす方向に行きたいからです。アクセントをできるだけ減らしたいわけです。アクセントはいらない(だれかのシャツのボタンのように、だれでもできるし、つくりがちだし、安くアクセントづくりができる簡単なものだから)、ニュアンスがあればいい、という感じです。トップに刻まれる畝(うね:ヘアーライン)によって、反射の屈折率の集合体によって、さらにやわらかい光沢が出現。そして、身体サイズの大きい欧米人用のカフリンクスよりもサイズ的に80%に小さくしてあります。ことごとく、高い技術力を、アクセントをつけないようにする努力、目立たなくさせる努力、引き算をするためにつかっています。




ただし、採用している大枠、クラシックの大切なフレームは変えません。つまり、ここでは、文字通りカフ・リンクス、袖のリンク、つながっている2つのトップ、チェーンで2つのトップが連結されている、一番オーセンテックな仕様です。余計なアクセントは一切つけていません。ただ、シルバー925ではなく純銀99.99%である証明、としての表記Silverとだけ、書かれています。純銀は独自のトロっとした “ やわらかさ ” があります。  傷もつきやすいです。ですので、そのオーナーの傷をつけることに価値があるので、最初は完全にクドいくらいの梱包がされています。ご自分の傷をつけてください、というわけです。

色は、1.淡いシャンパン・ゴールド 2.淡いピンク 3.淡いブルー 4.淡いライム・グリーン のストックがあります。各税込み75,600円です。(お問い合わせからも購入できます)俗っぽい説明を許していただければ、1ペアに2つのトップがついていますので、合計4つのトップ、つまり通常のカフリンクスよりも2倍の材料と手間がかかっているわけですね。そう考えると、大切に落としたりしないように(トップはガラスですからね)使うと、孫の代までもちますので、いい買い物ではなかろうかと存じます。7月中には僕のヤフー・オークションのアカウントで購入できるようにする予定です。

さて、スーツ文化について、現代のスーツへと続く起源というテーマで追求していると1901年にヴィクトリア女王が崩御して、エドワード7世が厳しい母親から開放された瞬間を起源と捉えるのが自然のように感じています。そうなると、スーツ生誕115年、ということになります。崩御という形で、ようやく権限が委譲されてきて大いなるエドワーディアン期がはじまります。それが現代に続くスーツ文化の(非常に愉しい時代の空気からの)始まりのように思えます。カフリンクスの装いも楽しんだことでしょう。もちろん19世紀のボー・ブランメルの苦味走った精神・引き算の美意識がしっかりと刻まれつつも、アメリカのタバコ商人によってタキシード・スタイル誕生でゆるく外野から権威付けられ、ついには若干問題児とおもわれていたエドワード7世の世界観が大人気を博す中で、堂々と大手を振って上着の尻尾をチョッキン切って、美味しい時代の幕開けを迎えたのではないでしょうか。。。