2010/07/08

今の世の中、カジュアルすぎますね

まあ、僕も含めてなのですが。先日、神楽坂のホテルで朝ごはん食べながらいろんなことを妄想していました。最近ちょっと世の中カジュアルすぎるんじゃないかな?ということでした。言ってみれば、緊張したい!みたいな。頑固な寿司屋以外で緊張したい、させてくれ、みたいな。

あらゆる贅沢な場所でさえドレスコードが存在せず、ニット帽やダメージデニム系のファッションが許され、スタッフも誰も何も言わない。もし僕がこのホテルを買収した暁には、と妄想が羽ばたいていました。

徹底的にクラシックに作りこまれて、来る人を緊張させてあげるホテルにしよう。安物のリラックスには飽き飽きして、そろそろ、本格的で長期的なサービスへの志で緊張させて欲しい、そういう感性・需要に応えよう。世の中リラックス、リラックス、自然体、自然体で、本当の意味での独立した自由は相当むずかしいはずなのでしょうが、何か新しい自由を獲得している気分になって、実は何かに乗せられている、、、、

最近のセレブ・ワナビーの雑誌の影響なのか、自分はこんなクラシックな場所でもこんなカジュアルで入れる特権的な人間なんだ、というマインドなのか、みんなしてクラシックなスペースをカジュアルなスタイルで占拠すると、その場所が安くなります。みんなでそれやっちゃうと、なにもドライブ感が効いてきませんよ。世の中の一定のスタイルの割合を見て、自分のスタイルを変化させることも大事なのでしょうね。

お店もお客も徹底的にクラシックな佇まいで、その中の1%くらいの例外として、たとえばローリングストーンズのミックジャガーが、そりゃハードスケジュールでしょうから、しかたなく時間がなくてT-shirtsとジーンズでラウンジにいたら、かっこいいでしょうが、一般人全員が一斉にカジュアルスタイルだと、その場もすべて単なるカジュアル空間ってことになります。

もし僕がホテルを手に入れたら、お客様がいらいらしない範囲でテーブルマナーやドレスコードを教えてくれるバトラーばかりのホテルをやってみたいです。あらかじめそうとわかっていれば、うるさいこと言われて緊張したりするのも、本来楽しいですよ。ジャケット着用しないと追い出されてみたり。

思い出すと、メイフェアのコンノート・ホテルでの朝食は、入ってくる人来る人みなジャケット着用で、必要最低限の声のトーンで話す上品な方々でした。僕もツイードのジャケットとタートルでしたが、ツイードやフラノは本来の厳密な意味では野良着なので、もうちょっとばかしドレスにすべきだったかもと、肩身が狭く感じつつも、そう感じている体験そのものが、なんだかうれしかったです。

昔、渋谷のセルリアンホテルで、シアサッカーの半ズボンと結構ラグジュアリーなハラコのサンダル履きだったんですが、最上階のバーにて、入店御断りされたことがあります。それなりに納得しましたよ。そういう厳しい店もいいよいいよ、みたいな感じでした。

物わかりがイイというのは、所詮、短期的な利益(とりあえず売上あげなきゃ)への欲求かもしれません。深い意味での保守的頑固さ、やお節介は長期的な人生勉強だから本来は相当に贅沢なものですね。そこを本来は評価して感謝して、ありがたがる行為も大事ですね。

顧客に対しても、ある正統な部分では厳格に接するという姿勢は、そのホテルにはドレスコードやマナーをつかさどる深みのある文化が存在する、ということの矜持であり証明なのだと思います。世の中で語られる “ブランディング” が単なる仕掛けづくりによるイメージ戦略ではなく、しっかりと根拠ある歴史や文化に根差していたら、深みがあって豊かで退屈することのない世の中になるはずですね。


2 comments:

ソラーロ said...

南千住のカフェはマニュアル化された様な接客が少し萎えました。これもつらいものです、、、自然に出来ないのかな喫茶店なんだから。

E 。 said...

ソラーロさんへ

さすがよくわかりましたね!ぼくは昨日で二回目でしたが、あそこは緊張系ですよ。系統からいうと『談話室滝沢』とか、修行・奉公系ですね。逆に自然な会話が苦手な感じのスタッフですね。