2008/06/20
After tea MTG with Ken Aoki @SHUZO's report.
昨日は、今週NYから帰国している先輩格にあたるケン・アオキ氏(※彼によると、ネット上で最近ぼくのニセモノが存在しているようで、、、と笑ってました。同時に“僕は自分の署名入りでしか書かないから、と断言してました)と、K氏、Y氏、そして30'sスーツスタイルのブログにおいて、たびたび彼とやりとりを交わしていたSHUZO氏を含め5人で銀座ダンヒル本店にて11:30よりティー・ミーティングをしました。
表参道界隈で、再度SHUZO氏が合流し、ビールで一杯やりつつ充実した時間、服好きにはたまらない薀蓄の数々を惜しげもなく展開してくれるケン・アオキ氏との話題をあれこれ反芻したりして、アフターアワーズの余韻を楽しみました。
昨日の件もあって、興が乗り、大切にしている世界観がさらに活性化されたのか、SHUZO氏から長文のレポート・コメントが届いたので、そのままこちらに載せておきます。研究成果を具現化するステップにあるSHUZO氏。今後の展開の一歩一歩を期待しております。
※写真は手前がケン氏、そして腕の向こうにSHUZO氏。
SHUZO氏より☆☆☆
僕は“クラシック的(古典?傑作?)”なるものが好きです。しかしそれと同時に“ポップ的(今風?)”な物も好きです。服飾的にいえば“トラディショナル的なる物”と“モード的なる物”といえるかもしれず、この二つの要素は本来相容れることなく対極にあり拮抗している物であるように見えます。(そしてお互いのテリトリーを守る事に誇りさえ感じているように見えます)
僕にとって30′sスタイルはまずフォルムありきであります。そしてその魅力とは存在感としてもフォルムとしても“古典”と“モード”の垣根をとっぱらったかのような自由さを内包しており、そこにファンタジーを見いだしているのかもしれません。
少なくとも僕がこのスタイルに興味を持った90年代初めころはその両陣営は全く交わることなく、そこには言い様のない閉塞感が鎮座ましましていたように感じます。そしてその頃は両陣営がお互いの特性を声高に主張し過ぎたがゆえに、お互いの悪い部分が一番噴出していた時期であるとも言えると思います。
つまりクラシック的な物は「こんなものは駄目だ。こうでなければ駄目だ」と言い過ぎて窮屈さを増し、ポップ的な物は「表現とはこんなに自由なんだ」と言い過ぎ、表現したいものの輪郭を無くしていった時代であるといえます。
僕自身のただの思いこみに過ぎないかもしれませんが、この時期の両陣営の隔絶によって「装う」ことに興味を無くした人々が大多数いるのではないか?と感じています。僕自身もモード的な物から入った人間でありますが、やはりその時期に一度意味を見失い「NEXT」を探していた記憶があります。
その時に見つけたものの良さとはその当時には言葉にまとめる術も無かったと思いますが、今の目で纏めれば「既成概念を壊す事と、温故知新と言う対極を同時に模索する事」であると言えます。
その当時の音楽文化でいえば、ともすれば古臭く感じられるジャズを“クラブジャズ”として転生させたりフォーキーな物を“ギターポップ”として開花させたりする行為。そこは古い物のルールにあえて少し縛られながらも少しずつ新しい物を入れ込んで行くと言うコンセプトが見え隠れします。
同じようなコンテクスト(文脈)を服飾に持ち込んだ今西祐次氏のブランド「プラネットプラン」にも感銘を受けました。彼は50年代のコンテンポラリージャズのスーツスタイルを積極果敢に採り入れ(このスタイルも彼が表現しなければ世に出る事は無かったと思われ…)、それ+アルファのカンファタブルな要素を入れ込んでいたように思います。
当時あった30′sスタイルのお店「コイーバ」のN氏は『ブリティッシュトラッドをやりたいんですよ』と至極まっとうなことを仰られておりましたが、チョイスした時代(1930年代のブリティッシュ)は挑戦であったと思います。何せ普通の人は1930′sと聞いただけでは全く型が浮かばない。スタイルもその当時の一番尖ったもの。その当時、90年代ならば、トラッドショップにしかないであろう端正なシルエットとディテールのジャケット、そしてその当時ならばモード店にしかなかったようなゆったりしたバギースタイルのズボン。
その二つのアイテムが混雑しているある意味前衛なスタイル。でもなおかつクラシックでもあるという。そこにある意味痛快さを感じていました。『トラッド陣営よ、長年の内に勝手なルールで凝り固まりすぎたんじゃないの?』『モード陣営よ、あなた達の創る物に確固とした趣味、目的はあるの?』と双方にダメ出しをする痛快さというか…。
当時、そんな30′s スタイルという“共同幻想”をカンファタブルな精神をもって90年代に再構築していた先人達は影を潜めています。しかしそれを受け止め、受け継いだ僕達はたしかに存在するので、さらに新しい解釈や意味付け、さらにグローバルな視点や温故知新も採り入れながら、これからの構想を練りたいと日々画策しています。
☆☆☆
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