2008/06/26
Future Period
いまさらながら先日、須田町の豆乳・日本茶カフェissaのAくんと話していたら、例の事件があった日の事件発生時刻2~30分後に行って騒然とした現場で事件を知ったらしい。交差点のソフマップに行く予定であったと言っていた。
朝の時点では夕方行く予定が、何かの気まぐれで12時ごろ行こう、となって、その後やるべき仕事が『押して』しまって30分ほど遅れて現場に到着したとのこと。押した仕事が身を救ったかもしれない。
僕自身、須田町界隈は素材屋や生地屋、お直し屋などの関係でよく行くので、お昼にじゃんがらラーメンでも食べこうかということで、中央通りを北上していたら確率的には出合う可能性があった。
しかしながら街の様子はどんどん変わる、たとえばヨドバシカメラ側から新らしいビル群に向かって先日撮ったこの写真(一切加工していないが、まるでゴッサム・シティのような妖しい空の黒だ)もつい1、2ヶ月前だったらココどこだろう?という光景だ。
これはまるでサーバーに見える。最近ではあっという間に建物が立つ。時間もどんどん過ぎる、風景もどんどん変わってしまう。イメージも更新更、データも更新。現実がどんどん抽象化している。
リアルが希薄化、揮発化していく。データがたまり、新しいフォルダーがどんどんできる。時々ごみ箱に捨てられる。
データとイメージ、記録と記憶、まるで冷静と情熱、というなにかのタイトルのようだけど、最近の個人的な仮説では、この2つは、これらは高速更新される上に、実は両立していなくて、人々は高速かつ無意識的にどちらか一方を選んでいるのではないか、と思っている。
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