2010/08/17

クラシックの美、その危険な魅力


本日もまた、英国で学生時代を過ごされ、アカデミックに大そうな精進をされて、現在はいわば審美家として生きておられる女性2名とハイブラウな時間を過ごしました。今後、エドワードエクリュにもロンドンの旬のエッセンスとヒストリーを注入していただく予定です。会話の中では気づきが溢れていました、“ そもそもクラシックというもの自体は存在しない、なんとなれば、今でこそクラシックといってもその時代その時代では目いっぱいの最先端だったわけだから、、、、”

というわけで、つねに、歴史・文化の感覚的な共感と背景の知的な理解という、高度な教養が問われるといえるクラシックなるものの扱い。モダンでアブストラクトな作品を作る100倍くらいの手ごたえがあるという世界です。おそらくこの線がクラシックであろう、とえいる一本の線は確かに存在するし、そこを綱渡りしながら、今の時代にも旬でいられる、とびっきりの新しさも内胞してこそ、旬のクラシックと呼べる、、、、深くて、愉しい世界です。

一方身近にひらたく言えば、ロンドンの中でもサウスケンジントン、チェルシー、ベルグレーヴィアの街自体に“心地良く萌え”、という共通点もあるようですね。もともとアカデミックな男性中心の貴族ソサイエティが、あたかも己の思想と哲学を表現するように街づくりをしたロンドン。堂々としたディグニティを感じさせるしかめつらしい歴史ある建物群。だからこそ、女性が普通のスーツ姿で歩いていてもぞっとするほどセクシーだったりするんですね。これは、生地のセレクトとセクシーの関係にも似ていますね。


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