2011/06/11

Tiger Mother タイガー・マザー


旅行記の合間にちょっと、一服。最近読んだ本で、かなりインパクトある本だったので、アマゾンで感想書きました。賛否両論、いろいろでしょう。分野が違っても、自分というスタイルづくりにも、大いにインスピレーションをもらえるすばらしい本だと思いました。以前、子育て観をいろいろ考えていたので、なおさらでした。『押し付けか?刷り込みか?』

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勇猛果敢な“振りきり系”の確信犯、一種のダンディズムを感じます。

仮に、世の中全体が“C”という方向に過剰に振り切りれている時、敢えてたったひとりで猛然と“F” という方向に振り切ってみせる。。。。

この“C”は casual,creative、くだけた、気楽な、ぬるい自由 というようなイメージ、ひいては欧米的な、こどもの自主性に任せる教育観。一方、“F”は、formal,form、型、一般的外来語的意味のフォーマル、そしてややクラシックなというイメージ、ひいては型を重んじる教育観、ザックリというと押し付け度の強い教育観。

昨今、“F”はマイナーだから、向かい風が吹いている世界であり、ヘタすれば向かい傷を負います。世の中のある種の『悪平等』の世界(みんな、なんでも、いっしょに進みましょう)に対して、勇猛果敢に挑む姿勢は大いに共感するところがありました。

『型』があるからこそ、到達できるクオリティの高い自由のステージがあるということ、『型』をマスターしているからこそ発揮できる、上質なクリエイティヴィティがあるということ、共感します。

翻訳者の齋藤孝さんの教育観とも大いに共通する部分があるのでしょう。庶民にはしばしば感覚的に『悪平等の感性』があるため、突出した能力を持つ人物たちに対して、その欠点を指摘して、(そのすぐれた才能もろとも)なんとか平均値に引きづりおろして、安心したい、というネガティブで根深い潜在欲望があります。

そういった目線や批判、エネルギーもろとも、一切合財を逆手に取って、向かい風が吹くからこそ浮上できるヒコーキのように、すべてをエネルギーに変えるぞ、という猛烈な意志も感じました。そこには社会に対するインパクト、影響を冷静に俯瞰している視線もあります。大いに共感しました。

表面的には、おそろしくハイブラウで、ある意味猛烈にスノッブな母親像にも読める一方、マイノリティとしてのやむにやまれぬ歴史的・世代的な背景も感じます。自分を相対化して、ヤレヤレ自分、とため息をついている姿もありながらも、そうはいっても、生きている以上、だれもが好む好まざるに関わらず『あの生き方か・この生き方が』を選びとって生きているのだ(だからその結果も責任を持って引き受けるのだ)という実存的な真理も呼び覚まされました。真剣に生きているほど、度々、それを突き付けられるのだと思います。

この本との出会いは、不思議でした。妻、そして昨年12月に生まれた息子がトラ年、そして自分の店が神楽坂の毘沙門天(毘沙門天は狛犬ならぬ狛虎)近く、そしてここ数年、仲良くさせていただいているS氏(初代タイガーマスク)、という『虎』のご縁によって、今週8日水曜日夜、新宿を歩いていたところ、紀伊国屋書店の店頭に並べている途中だった『Tiger Mother』をサクッと手にしてレジに直行、という偶然の出会いでした(笑)

結果的に、多くのインスピレーションと精神への栄養となる、すばらしい本でした。

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