2008/03/06
いつ種を蒔くかということを知っている者
“神主”の起源はそういうところだったらしい。
先日4日(火曜日)朝6時30分から九段会館にて朝の勉強会に出席し、神社の宮司さんのお話を聴いた。神社に参拝する際に水で清める行為作法について、、、
“左手を洗って、右手を洗って、手で口を漱(すす)ぐ、左手を洗う”という基本的なことから
“昇殿参拝(しょうでんさんぱい:お祓いの後、本殿にて玉串を奉り、参拝すること)ではネクタイ着用、モーニング着用”が理想的、とか
“厄年の御祓いに、ジーンズで来られるのはちょっとどうかと、、、”
などなど、たくさんの学びがあった。
礼儀作法は、それをしなくちゃ恥ずかしい、などと堅苦しく考えるのではなくて、ある意味、その作法をする(なぞる)ことは、先祖の歴史と知恵を追体験できる実にありがたい機会だ、と考えて堂々としているほうがいい。
所作としては既に日本人のDNAに刷り込まれているだろうし、その作法が継承されているのは、突き詰めると、歴史がそれを“知恵”だと認めているからだ。自分なりに文化的背景を楽しみながら、少しずつ理解して、ゆっくり深く味わう。
歴史や伝統、ファッションの世界でもいわゆる“トラッド”な意匠は“ゆっくり深く味わう”という姿勢に大して、そのままゆっくり深く付き合ってくれる。
仕事柄、お仕立てするお客様は、自然でありながら静かな自信に満ちて、世界中どこにいようと、何があろうと、堂々とした佇まいであらんことを、と願いながらビスポークしている。
タキシードの着こなしを日本人であるぼくらはある程度努力して学んで身につける。しかし、そのマインドまでは遠い。しかしそれを知りたい。マインドは世界共通だから、和のマインドを通して世界を理解できる。
ドレス・コードだけでは不十分だ。そのマインド・コードも感じたい。自分を知り、歴史も知り、とことん豊かに楽しむために。
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